KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

日記における4つの表現モード

 今、日記について書かれた本を読んでいる。インターネット書店amazon.comから、「diary, journal」といったキーワードで探した次の本だ。

  • C. Baldwin/ One to One: Self-Understanding Through Journal Writing
  • J. R. Neubauer/ Dear Diary: The Art and Craft of Writing a Creative Journal
  • T. Rainer/ The New Diary: How to Use a Journal for Self-Guidance and Expanded Creativity

 余談だが、amazon.com はとても気に入った。本を探すときも、単なるデータベースではなくて、その本を読んだ読者からのコメントが読める(まだない場合は、あなたが最初の評者になりませんか、といってくる)。また本の在庫のお知らせや、在庫がないときに版元に依頼していること、出荷したこと、など都合5-6通のメールが来て、注文した本が今どうなっているかを知らせてくれるので安心する。これは、見習うべきサービスだ。繁盛している理由がよく分かる。

 BaldwinとRainerの本は、自己理解や自分をガイドするための日記という位置づけがよく現れていて面白い。なにぶん、英語の本なので読むペースは遅々としているが、面白そうな章から目を通している。

 その中でも、Rainerの本のBasic diary devices(日記の表現法の基本)という章では「日記の4つの表現モード」という説明がある。日記の表現には次の4つがあるという。

  • カタルシス(catharsis) ---感情の言葉
  • 記述(description) ---知性の言葉
  • 自由な直観(free-intuitive writing) ---意識下の言葉
  • 内省(reflection) ---自分と書くことへの観察

 「カタルシス」は自分の感情を文字にぶつけることだ。「悲しい」とか「頭に来た」とか「大好きだ!」とか。感情の言葉で綴られる。「記述」は事実を書き留める。「今日の朝食は何だった」とか「今週のダイエット成果は2.5キロ」とか「今日の散歩は7500歩」とか。知性の言葉で綴られる。

 「自由な直観」は意識下の言葉で綴られる。文章にならないこともある。詩になることもある。第三者が見れば「(意味)不明日記」になることもある。最後の「内省」は自分と自分が日記を書くことの観察である。日記書きはしばしば、自分がなぜ書いているのか、自分が書いていることへの洞察を記す。自己言及的だが、それはまったく自然なことだ。

 こうしてみると、なるほどこの分類はよくできている。「Web日記書きは、なぜWeb日記について書くのか?」という話題がよく取り上げられるが、それは、日記のスタイルのひとつとして「内省」という形がある限り、自然ななりゆきなのである。