KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

大学教員の仕事と給料

「あかねの日記」さんが大学教員の仕事について書いていた(99/01/05付)。

大学の教員のお仕事に関して思うこと(あまりまとまっていません)。私は、「教官は“教える”ことで給料をもらっている」とどこぞで聞いたのでそう思っている。(だから、研究そのものは給料とは関係ない。←これは正しい認識なのでしょうか?もし違ってたら教えてくださいませ。)もちろん、ほかにいろいろな雑務もあることでしょうが。…中略…

もうひとつ。教員の採用は研究実績が重要なファクターであるが、研究することが仕事ではない。上の私の認識が正しければ。もちろん、研究したことない人が研究指導ができるとは思えないけど、不思議といえばちょっと不思議な話のような気もする。へりくつかな?

 なるほど言われてみれば不思議だ。教えるのが仕事なのに、採用されるときは研究業績を問われる。しかし、純粋に業績の多寡によって採用が決まるのかといえば、(採用に直接関わったことはないが)そうでもなく、もっと重要な要因は採用ポストに来る人にどんな専門を求めているかということだろう。大学のコースが幅広い科目を持っていることから、ひとつの専攻や講座に二人以上の同一の専門をもった人を雇うことはあまりない。カリキュラムに載っている科目をカバーできなくなってしまうからだ。私の職場は、教育工学を専門としている人が四人もそろっているがこれは日本では珍しいケースだ。もっとも教育工学という分野が学際的なので、その中でも、心理学系、工学系、教育系と分かれてはいる。

 さて、研究そのものは給料と無関係なのかというと、長期的には関係がある。つまり研究業績があまりにも少ない場合は、昇進(講師→助教授→教授)が遅れる可能性があるので、その場合は給料の上昇が緩くなる(が、そう大きな違いではない)。また業績が少ないと大学院担当の資格審査(「合」、「マル合」という隠語で呼ばれる)に通らないので大学院生を担当できず、その結果その分の手当と院生分の研究費が少なくなる(がそう大金ではない)。つまり、研究をしないでいてもあまり甚大な損失はない。さらに昇進も、業績をあげればすぐに果たせるかといえばそうではなく、ポストがなければあがれない。上の人が退職や異動をしない限り、助教授から教授になれないというケースはよくある。逆に年若くして教授になるケースもある。

 一方、評価される研究をすれば、給料が上がるという誘因はある。たとえば学会誌で論文賞をもらったり、出版賞をもらったりする場合である(もちろんその先にはノーベル賞というものもある)。国立大学では、こうした受賞に対して年に一回調査をかけている。もしそれに該当すればその人の給与がベースアップされる。また、一部の私立大学では、学会発表に対して手厚い出張費を支給したり、特に海外での発表には数十万円という手当を出しているが、これは広報活動の一環という意味だろう。出張費は給与ではないが、国立大では年額一定の4〜5万なので、それ以上は自腹を切らなくてはならないことを考えるとうらやましい。

 以上、まとめてみると、教員が研究をしなければ多少の不利があるし、認められる研究をすれば多少のいいことがある。大勢に影響はないが、それでも研究をやるのは、教員がそれを面白いことだと感じていることが大きいのではないか。研究のプロセスそのものが面白いのである。新しいことを見いだしたり、本当のところはどうなのかを確認したりするのが楽しいのである。こうした感覚は学習性のものだ。だから、「研究が楽しいと思うようになってしまう」ような教育を学生にすることが大切なのではないかと思う。

 しかし、ここで教育の話に戻るのだが、そういう教育はやはり難しいのである。素人は「つらさ」や「がまん」や「あきらめ」ばかりを教える教育をしてしまいがちだ。そして大学の教員のほとんどは、教育に関しては訓練を受けたことのないド素人だということを認めなければならない。