KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

選考プロセスを見せないことの弊害

「こうした予算配分システムの確立が必要と痛感した。日本の研究費の配分は不透明すぎる。米国では審査過程も研究者に説明される」と林助教授はいう。/日本のプロジェクト研究のほとんどは、省庁が選定したテーマに基づき事実上役人が選定した"著名な学者"に予算配分される。/要するに、研究に対する正当な評価より、学閥、人脈や諸々の「貸し借り」で、予算、ポストが動く。所外研究予算の八割強を研究者の自由なアイデアに基づく研究に配分するNIHとは、あまりに対照的だ。

  • 読売新聞(99.2.7)「医療新世紀」より

 こうしたことに限らず、日本的なシステムの問題点は「プロセスが見えない」ことにあるのではないかと思う。そこに至ったプロセスを明らかにせず結果だけを伝えるということは、その結果が喜ばしいものであれ、そうでないものであれ、よくない。たとえば、何かの研究予算に採択されたり、試験に合格したりした場合でも、なぜそうなったのかというプロセス、あるいは詳しい根拠を一緒に見せられないのならば、偶然だとか、運が良かったのだとか、人脈があったからだとか、ゴマをすっておいたからだとか、人によってさまざまな原因帰属をしてしまう。自分がうまくいったことの原因が、ただ自分が努力したことにあったのだということが明示されなければ、引き続きその人が努力を続けることは保証されない。それどころか、地道な努力をせずに、人脈を作るとか、派閥を作るとか、占いに凝るとか、妙なところに力を注いでしまうかもしれない。