KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

大学についての世論調査

 同じ日の読売新聞に全国世論調査の結果が出ている。99年1月に有効回答数2006人から得たデータだ。

  • 入試を資格試験的にすることについて、望ましいが64%、望ましくないが29%
  • 学力試験をやめて面接や作文にすることについて、望ましいが46%、望ましくないが46%


 入試を学力試験ではなく面接などにすることについては、望ましい・望ましくないが共に46%で拮抗している。これは健全な判断かと思う。面接や一芸入試や自己推薦などの制度を作っても、要するにそれを狙って準備してくる者が増えるだけの話だ。「意欲・関心・態度」と文部省が言い出して、それを「評価する」ことになってから、学校で疑問を感じてもいないのに手を挙げて質問する生徒が続出している(それで内申がアップする)、という話を聞くと反吐がでる。それならば誰にとっても公平でクリアな学力試験が一番である。ただし学力試験を年に何度かやって資格試験的にすることがいいと私は思っている。

  • 大学への満足について、満足が27%、不満が57%
  • 大学とは、専門的知識を身につけるところが68%
  • 大学の問題点として、専門的知識を身につける場になっていないが29%
  • 学歴を得るだけの場になっているが55%


 世間一般では、大学に専門知識を身につける場ということがまだ期待されている。その意味で大学に不満が57%であるのは納得がいく。しかし、もはや大学は「読み、書き、コンピュータ」と「考え、疑い、判断する」ことを身につける場に変化していると、私は思っている。専門的知識というのはその次の段階ではないかと。

  • 成績評価を厳しくすることについて、望ましいが77%、望ましくないが18%

 これは入試を緩くする方がいいという結果と合わせて読むと、興味深い。世論としては、アメリカのように入り口を広く、出口を狭くした方がいいと考えているようだ。しかし、「評価を厳しく」というように言っているのでは改善は期待できない。そうではなく「評価基準を明確にし、公平にする」と言ってもらいたい。

 現時点でも、受講生の9割を落とす「厳しい先生」はいるのだ。その先生のどこがおかしいかというと、評価基準を明確にせず、そのプロセスも明らかにしていないことだ。9割が落ちる評価方法というのは明らかにおかしい。なぜならば、講義の目的が決まり、それによって評価方法が決まる。そして、それによってどんな授業をするかが設計できる。もし、最終評価で9割の受講生が落ちるのであれば、それは適切な授業設計ができていないか、実質的な授業実践ができていないかのどちらかである。つまりいずれにしてもその人の授業は失敗である。その責任は先生自身が取るべきであって、決して落第した学生の出来の悪さだけに求められるものではない。

 また評価基準というものは絶対的なものではない。ある授業をして学生が何をできるようになって欲しいかということは、その時の社会や学生や学問の状況との対話の末に、やっと決めることができるものだ。