KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

山びこ学校と無着成恭

 このテレビ番組をたまたま見た。山形での山びこ学校でメディアの表舞台に引き出された無着成恭は、「自分の名声のために村の貧乏さを売りものにした」という言葉を投げつけられ、山形を去る。明星学園の教員を経て、今はカンボジアで僧侶となり、そこに山びこ小学校を建てた。

 その道筋は、地域や学校で卓越した人が出てきたときに、その同僚や周囲の人々がどのような反応をするかということを、端的に示していて興味深い。とともに思わずため息をつきたくなる。この国の人々の多くは、卓越した人を讃え、支持することが素直にできないで、かえってその正反対のことをしてしまうのだ。足を引っ張る、中傷する、追い出す、といったこと。

 番組の最後に無着成恭への一問一答が面白かった。

  • キレる子供たちがでてきているのは?---社会は子供をどのように育てるかというイメージを持っているものだ。しかし、今はそれがない。子供を大人に仕込んでいくという手順がない。今の大人も大人ではない、子供だ。子供が子供を育てられるわけがない。
  • 不登校の子供が増えているが?---もし、学校に行かないという理由が文章で書ければ、それは思想運動になりうる(生活つづり方が生きていればそれができただろうか)。しかし、子供たちは不登校を思想としてはとらえていない。だからコンプレックスになるだけなのだ。不登校に積極的な意味を見つけない限り、それは単なる現象に過ぎない。思想運動にはなり得ない。
  • 山びこ学校の五十年とは?---点数主義に負けたんです。経済主義に負けたんです。