KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

サブ猿人の誕生と読む日記の決定因

 このまま大きくなっていけば、日記猿人が無機質的なリンク集になるのは避けられないとして、日記猿人の分室を作ってはどうかという案内を読んだ。具体的には、日記猿人ライトというCGIプログラムを配布して、分室サーバ(サブ猿人)を立ち上げるということだ。大変面白い試みだと思う。CGIPerlで書くとのことで、詳しくないのだが、マックのサーバ(WebSTAR)でも動くのだろうか。もし動くのであれば、これまでお世話になっている感謝も込めて、研究室で稼動しているサーバの資源を提供したいと思っている。

 サブ猿人についてのコメントもいろんなところで書かれているようだが、ぢょしゅさんとnackyさんが書いている、「サブ猿人化による異種混合ダイナミズムの縮小」(なんか大げさな論文のタイトルみたいだな)はポイントかもしれない。つまり、巨大リンク集での新たな出会いの効用と、小リンク集での読みやすさの効用との、バランスというかトレードオフの問題になる。

 実際私は日記猿人の更新報告リストを使って日記を読んでいる。以前は自前の日記用リンク集を作っていたが、変化が激しいのと、読む日記がどんどん増えてきたので、やめにした。最近の更新報告リストでは、登録数が多くなったために、いつも読む日記が探しにくくなっている。その一方で、一行コメントによってははじめての日記を読むこともけっこうあり、それはなかなか楽しい体験になる。だから、最終的にはトレードオフ問題になると思うのだが、メイン猿人とサブ猿人が動いていれば、時間がないときはサブ猿人で一通りチェック、余裕があるときはメイン猿人の散歩という使い方ができるような気がする。

 しかし、冷静になって考えてみると、私が読んでいる日記は研究者系が多いとしても、そればかりではない。奥様系もあるし、女子大生系もあるし、BOWDO系もある。奥様系、女子大生系とはいっても、全部の奥様系、女子大生系ではけっしてなく、そのごく一部のものだけだ。結局あまり一貫性はなく、「○○系」としてくくれるようなジャンルの日記としてその日記を読むわけではない。さらにいえば、その文章の面白さで読むわけでもない。引き合いに出して申し訳ないが、「ちゃろん日記」は読み物としての面白さは一級品だと思うし、何度か読んでみて実に面白いと思った。しかし、私は継続して読んではいない。つまり日記を読むのは、その文章の面白さやうまさで読むわけではない。日記読みはきっとエンタテイメント以外のものを求めている。

 結局よく読むようになる日記を決めるのは、波長や共感というようなあいまいなことばでしか説明できない。ジャンルでもない、エンタテイメントでもない、ましてやオフで会ったからというのでもない。その人の日記で取り上げるトピック、その人の選んだ言葉、その人の作ったストーリー、そうしたものの中から自然にたち現れてくる波長のようなものが、それを読んでいる自分にぴたっと来たときに生まれる共感が、日記を読む原動力になるのではないか。

 社会学やマーケティングの研究者であれば、この波長とはいったい何なのかをつきとめたいだろう。しかし、他人事ながらそれはうまくいかない。それが日記読みの一筋縄ではいかないところでもあり、秘密の楽しみでもあるのだから、簡単に解き明かされてたまるものか、と思ったりする。変である。