KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

NHK教育「先生だって悩んでいる」を見て

 きのうNHK教育で放映された番組「先生だって悩んでいる」を見た。全体をまとめると次のようになるだろう。

 タイトルで「先生だって悩んでいる」というなら、私だって悩んでいるし、子供だって悩んでいるし、悩まない人間なんていないんだ、と反論したくなるが、先生の悩みの多くは強固な教師文化からくる構造的なものであり、個人的な努力で避けるには限界がある。これを解体しない限り、問題は解決しないだろう。強固な教師文化とは具体的には次のようなものではないかと思う。

 ●自分は「すてきな先生」になり、生徒は「かわいい生徒」にしたいというファンタジー。このファンタジーはかなり強固に先生にとりついている。もともとこうしたファンタジーに憧れる人々が先生という職種を目指すということもあるだろう。採用する側もこうしたファンタジーを共有しているので自然とこうした教師が増えるのである。

 しかしこのファンタジーは逆に先生自身を痛めつける。すてきな先生であるはずの自分が嫌な先生になる(嫌な先生だと思われる)ことに傷つく。かわいい生徒であるはずの生徒に対してそう思えないという現実がある。こうした自分が信じてきたファンタジーと現実とのギャップが重荷になる。ファンタジーに頼ることの問題点は明確だ。つまりファンタジーは漠然としたイメージを与えてくれるが、現実に有効な具体策を教えてくれないのである。つまりファンタジーに頼っている限りアマチュアであるということだ。

 またこのファンタジーは生徒にも悪影響を及ぼす。つまり、先生が「かわいい生徒」を信じている限り、生徒は「かわいい生徒」や「いい子」を演じなければならない。これは生徒にとって非常にストレスフルな状況になる。「明るく元気で生き生きと」というプレッシャーは学校を息苦しいものにしてしまっている。

 ●「みんな仲良く」という文化。「みんな仲良く」という文化は皮肉なことに、みんなを仲良くさせない。なぜならば、仲良くということに「同じでいよう。違ったら許さない」ということを含意しているからだ。それによって自分の悩みをお互いに共有することができないでいる。そして教師の同僚同士を孤立化させている。職員室でみんなに囲まれながら孤立感を感じなければならないところに問題が集約されている。

 ●「指導」の文化。佐藤学さんによると1980年代に中学校が荒れたときに、三つの指導---生活指導、部活指導、進路指導---で乗り切ってきたという事実がある。このことが先生をして、指導さえできればうまくいくという自信をつけさせてしまったのである、と。

 これは一番目にあげた「ファンタジー」の対極にある文化だろう。たまたま週刊文春99.2.25号で紹介されている河上亮一さん(「学校崩壊」という本)の主張する「正しい管理教育の必要性」というのは、この指導の文化の延長線上にあるのではないかと思える。現実をきちんと見ているという意味ではファンタジー文化よりはいいかもしれないが、それだけではまずい。教えられる側と教える側のネゴシエーションが欠けているからだ。