その人は私のお腹を見ながら言った。「うちの会社の管理職でお腹の出ている人はいないですよ」 へ? 一体何が言いたいのかと思ったら、自分の体重も管理できないような人に、他人の管理はできないんだ、というようなことを言いたいらしい。なにそれ? 自分の体重の管理と他人の管理とにどういう関係があるというのだろうか。
確かに私のお腹は出ている。体重も標準体重を超える。体脂肪率も肥満領域だ。しかし病的ではない。それでいいではないか。体重や身長はほぼ正規分布するのである。平均値よりも太った人もいればやせた人もいるわけで、なんら不思議はない。中年になって腹が出るのも、昔であれば「貫禄がついたね」とめでられるところである。
心理学の教科書で、クレッチマーの体型と性格との相関図を見たことがある人もいるだろう。がっちり筋肉質の体型は「粘着気質」、腹の出た体型は「躁鬱気質」、痩せた体型は「分裂気質」というやつだ。これも今ではデータの取り方に不備があるとして正しいとは認められていない。ましてや体型と管理職適性との間に相関関係が見いだせるとも思えない。もし、体型を判断材料として管理職への昇進を決めたとしたらその会社は「体型差別」として問題になるに違いない。
ことほどさように、人間は目に見えるものに判断を左右されやすい。特に体型や顔、服装、ヘアスタイル…。どうでもいいではないか。体型とか顔は個人を識別するのに便利なくらいの意味しかないと思っている。みんな同じ体型で同じ顔をしていたら見分けるのに大変だから、違っているんだ。ただそれだけ。
- 太っている---いいね
- 痩せている---いいんじゃない
- 普通なんだ---それもいいね
- かわいいよ---いいね
- 変な顔だよ---個性的でそれもいいね
「面談するときは第一印象が大切です。好印象を得るためには外見とたち振る舞いが重要です」。コミュニケーション理論ではよく繰り返されることだ。しかし、この裏を返せば、私たちはいかに外見にだまされていることが多いかということにほかならない。だから私は今でも入試の面接をやることに反対なのだ。「話すことの効果は話の内容ではなくて、はきはきした話し方、堂々とした態度、誠実な印象によって決まるのです」。ということはなんだ、私たちはその人の話の内容なんてほとんど聞いちゃいないということではないか。
私がネットワークの世界を好きなのはおそらく、人間の外見に惑わされることなく、話をしたり、話を聞いたりすることができることなのだ。そこでは、外見も体型も、男も女もまったく関係なく、話の内容と語り方だけが勝負なのである。それは実に静謐な世界である。実際に生きていかなくてはならないちょっと腐りかけた現実世界と、言霊が支配するネットワーク世界の両方を生きることができるということを、私は時々とても幸せに思うのである。