KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

きのくに子どもの村学園から学ぶこと

 「きのくに」の授業の特徴を乱暴に言ってしまえば、「木工、出版、体験学習」である。木工は小学校の低学年からよく訓練されており、小学校を卒業するまでには中学校で使う自分の机を自分の手で作るのである。また、出版をプロジェクト授業の最後のまとめにしているところはフレネ学校のよいところを取り入れている。これがあるために、体験学習がただの体験で終わってしまうことなく、自分なりにとらえ直すことができるわけだ(という私もこうして日記を書いてWeb出版することによってきのくにで見てきた体験をとらえなおそうとしているわけだ)。

 きのくに方式から学ぶことはたくさんある。しかし、それを自分の教育現場にいかそうとするときに最も重要なことは「木工、出版、体験学習」を部品的なテクニックとして導入するのではなく、それを学校全体のシステムとしてどう埋め込んでいくのかということだ。そしてそれこそがもっとも困難なことなのだ。たとえば、木工ひとつにしても、自分の作品を作ることから始まって、自分の机を作ること、学校の建物(犬小屋や託児所)を作ることという軌跡が明確に描けるかというところがポイントになる。

 あえて限界点を探せば、プロジェクト方式の授業はそれが教師の力量を越えられないという点にある。つまり教師の設計力の範囲内でプロジェクトが進んでいく。それでいいのだというとらえ方もできるが、おそらくこの学園の教師はいつでも子供たちによってそこを問い直されているわけで、厳しい環境にあるといえる。この学園の教師になる条件として「理想が高すぎないこと」を明示している意味が推測される。

 子供たちはプロジェクトで作ったレポートや作文集を見学者に売る。その売り上げは子供たちが旅行にいったりイベントをやるときのために使われる。その点はよく考えられている。しかし、それを売ること、また実際によく売れてしまうことにはどんな意味があるのだろうか。これは深読みのしすぎなんだろうか。つまり、レポートを自分たちで読んで味わうこと、体験学習で団子を作って自分たちで味わうこと、それだけではいけないのだろうか。それを売ることにはなにかきわどいものが含まれているような気がする。

 自分たちの文章が売れることが、その内容がもっと良くなるようなフィードバックとして働けばいいのだが、おそらくそれはない。それは「きのくに」が現実の市場ではないからだ。しかし、これも模擬的なものと考えればそれでいいのかもしれない。そこら辺が実にきわどい感じがするのだ。

 とはいえ実に刺激的な見学であった。去年の春には第2の土地として福井県勝山市に小学校が誕生している。こちらも機会を見つけて訪問してみたい。