昼休み時間に体育館でバドミントンをやっている。よほどの用事がなければいそいそと出かけていく。バドミントンは効率のいいスポーツだ。1時間弱でもシャトルを追いかけていると汗びっしょりになる。今日は暖かい日和でテニスには絶好だったのだが、バドミントンをしてしまった。なんだかこのままバドミントンにハマっていきそう。
体育館に集まるメンバーは大学のいろいろなところからやってくる。事務の人が大部分で教員は少数派である。実は誰がどこからきているのか、何という名前なのか、肩書きは何なのかよく知らない。自分の所属している教育学部の人は知っているが、それ以外の人については名前も知らない。どんな仕事をしているのかも知らない。
実際、名前や所属を知ることは必要ないのだ。その人を呼ぶときでも、「おーい」と声をかければ自分のことかとわかってくれる。ましてやその人の所属や肩書きは全く不要だ。その人の肩書きが何であろうがシャトルはただ物理の法則に従って飛んでいくだけである。
空想にふける。
名前や肩書きのない世界があったとしたら、それはなんと自由で気持ちのいいものなんだろう。その人の姿は見たままのその人であり、名前や肩書きではない。自分は「向後千春」だからこういうふうに行動しなくてはならないとか、自分は大学の教員だからこういうものの言い方をしなくてはならないとか、自分は助教授だからちょっと偉いんだとか、そんなものをすべて捨て去って、自由に考え、自由に行動できる世界。
名前のない世界に生きたい。