KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

道田泰司・宮元博章・秋月りす(漫画)『クリティカル進化論』

クリティカル進化(シンカー)論―「OL進化論」で学ぶ思考の技法

クリティカル進化(シンカー)論―「OL進化論」で学ぶ思考の技法

 ものごとを単純に決めつけたくなる誘惑に耐え、自分が偏ったものの見方をしている可能性を常に自覚した上で、できる限り先入観を排し、さまざまな観点から考えようとするクリティカルな精神。これは心理学者だろうと、普通の人だろうと関係なく、誰にでも必要です。心理学者だって、クリティカルな精神を忘れたらすぐに独断に陥ってしまいます。ホントです!

 ごくまれにだけど、「ああ!これは自分が書きたかった本だ」と思う本に巡り会うことがある。この本がまさにそれ。秋月りすさんの『OL進化論』という4コマ漫画を材料にして、クリティカルに考えられる人(クリティカル・シンカー)になるためのポイントと原理を丁寧に解説している。以前、著者の道田さんに「マンガで学べる心理学みたいな本があったらいいですね」というメールを送ったことがあった。そのとき「実はそういう本を書いています」という返事を受け取った。それがこの本だ。

 心理学、とりわけ認知心理学は人が日常的にしている思考や判断が、いかに偏ったものであり、根拠のない思いこみであり、合理的な推論に基づかないものであるかということを明らかにしてきた。もちろん私たちは論理学者ではないから、いつも合理的で科学的な判断をしているわけでもないし、またその必要もない(論理学者もいつもそうしているわけではないだろう)。そのかわりにスキーマと呼ばれる「考え方の枠組み」を使って、素早く、あまり頭を働かせることなく日常的な判断をしているわけだ。しかしこうした日常的スキーマだけに頼っていると、物事を過度に単純化したり、自分の都合のいいように情報をねじ曲げたり、先入観や偏見から抜け出せなかったり、運が悪ければだまされて損害を被ったりする。

 クリティカル思考とは、情報をさまざまな観点からとらえ、合理的な推論によって解釈しようとする「新しいスキーマ」である。これはこれまでは科学を学んでいくことに並行して身に付けられてきた(科学は誤謬の発見と反駁の繰り返しだった。そのエンジンがクリティカル思考だ)。クリティカル思考は学校教育の中で明示的に教えられてきたわけではない。しかし、これからの教育ではクリティカルな思考力が明示的に訓練されていく必要があると考えられているし、実際アメリカなどではそうした動向になっている。

 クリティカル思考を学校教育の中でやることには意味がある。なぜならばクリティカル思考は訓練する必要があるからだ。何も訓練されなければ私たちは最もコストの安い(=思考力を使わない)日常的スキーマですべてをすます。クリティカル思考のスキーマは日常的スキーマよりも少しコストがかかる(=すこし思考するための労力を要する)。したがって必要なときにクリティカル思考を起動するためには訓練することが必要なのだ。

 マンガの笑いにはいろいろな種類があるけれども、その大きな柱として「新しいスキーマ」の導入ということがある。常識や固定観念をぽんと壊してしまうような「もう一つ別の見方」である。私たちは日頃見逃していた「別の見方」を提示されるとなんだか楽しいのである。マンガの楽しさのひとつはそういう類の笑いだ。だからこの本が「OL進化論」という4コママンガを題材にして書かれたというのは、実に素敵な取り合わせであるし、成功の原因はここにあるような気がする。

 クリティカル思考はひとたびその方法を身に付けると、いろいろな場面で利用できる。何よりも重要なのは、考えるのが楽しくなるということだ。教育場面で「よく考えてみよう」などと繰り返されるが。考えるためには考える方法が必要なのだ。振り返ってみると、考える方法というのを私たちは習ってこなかった。だから「考えたふり」をすることを学んだのだ。クリティカル思考を学べば、考えるふりをすることではなく、考えるということがどういうことなのかがはっきり分かる。そうすると考えるのが楽しいものだということが分かる。

 たとえば「アメリカではお腹の出た管理職はいないですよ」という言説についてクリティカルに考えてみる。偏見・先入観、少数サンプルの偏り、情報収集のバイアス、因果関係の取り違え、さまざまな観点からクリティカル思考ができる。そうした方法論を提供する本である。