KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

本を作る人のWebページデザイン/ハイテク筆記者

 「bit」誌の1999年4月号にふたつ面白い記事を見つけた。

 ひとつは「本の電子化を考える」というインタビュー記事で、Web版「本とコンピュータ◆」を発行しているという話。このページを見ると、実にページのデザインが美しい。本を作っている人がWebページのデザインをするとこうなるんだなあ、とため息。白地に黒のインク、色は一色だけ控えめに使うという原則だ。あとは空白をたっぷりとって目を疲れさせないことだろうか。手本にしたい。

 記事の中で面白かったのは、文章の中ではリンクを貼りたくない、ということだ。というのは文中のリンクをたどった人のかなりの割合は元の文章に戻ってこないからだそうだ。だから文中にはリンクを貼らずに、文章の終わりにまとめてリンクを表示したい、と。これも本を作っている人の意見だと思う。確かに文中のリンク表示は色が変わるので、文章を集中して読みたいという人には目障りになる(この文章では折衷案として「◆」で控えめにリンクしてみた)。

 こうしたオンラインの雑誌をタダで作ることに関して、やはり課金システムは重要な問題だという。「本とコンピュータ」ではスポンサーがついているのだが、これは例外的な幸運であるから、最終的には課金システムをうまく作って、著者や雑誌編集者にフィードバックしないと長期的には機能しないのではないかと。

 もう一つの記事は、G. Fischerという人の講演で「カウチポテトからの脱却:コンシューマからデザイナへ」という記事。その中で、「ハイテク筆記者」ということばがでてくる。昔は誰もが読み書きできたわけではなく(今でも地域によってはそうだ)読み書きのできない人は、必要があるときにそれを代わりにやってくれる「筆記者」に頼んでいた。この構図は現代のコンピュータユーザもまったく変わらないというわけだ。コンピュータユーザは全員がその機械を使いこなしているわけではない。必要があるときはそれをエンジニアに頼まなくてはならない。それがハイテク筆記者だ。

 このようなコンシューマとデザイナの分離は二つの問題を引き起こす。ひとつは、実際に使っている人でなければデザインされたものの問題点を理解できないということ。しかし、彼らはそれを明示的に説明することはできない。したがってデザインが改善される可能性が減ってしまうこと。もうひとつは、イリイチの言うようなconviviality(使ってみる楽しさと訳されていた)がうまく実現されないこと。

 ハイテク筆記者というコンセプトで実に鋭いところを突いていると思う。ホームページの作り方を教える人はハイテク筆記者の一人かもしれない。