KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

新入生合宿研修で超能力をデモする

 立山少年自然の家に一泊で、教育学部の新入生の合宿研修があった。単位の取り方などの相談に乗ることと、学生と教官の親睦を目的として毎年やっているものだ。いまさら修学旅行でもないし、バスを五台も連ねてわざわざ出かけることもないと思うのだが、こういう行事はなかなかなくならないものである。

 今年は私に出番が回ってきて三、四年ぶりに参加した。直前に、三十分ほどの時間で何か新入生に贈る話をしてくれという仕事を請け負う。「大学での心構え」のような話をしても、聞いている方は上の空でなんの役にも立たないだろう。空疎な話だけはしたくないので、超能力のデモンストレーションをすることにした。一つ目は予知能力のデモンストレーション。もう一つおまけにテレパシーのデモ。ネタは詳しくは書かないが、両方ともうまくいった。

 もちろん私に超能力なんて、ない。ある本から仕入れたネタのあるトリックである。しかし、このトリックはうまく人の心の落とし穴をとらえているので、初めて見る人がネタを見破るのは非常に難しい。実際、私のデモが終わってから「あのネタはこういうトリックなんじゃないですか…」と言ってきた学生が一人だけいた。確率的には100人に一人くらいはネタを見破るようだ。逆に言えば99人はだまされる。

 予知能力のデモだけでもかなりインパクトがあったのに、大サービスしてテレパシーのデモまでしてあげちゃったのでほとんどの学生は私の超能力を信じかけた。そこで「これは超能力なんかじゃないよ。ネタがある」と宣言する。しかし、種明かしはしない。心理学でいうツァイガルニック効果である。完結されないことがらが強く記憶に残るという効果である。種明かしをしてしまえば、完結された話として記憶からたちどころに消え去る。

 「超能力なんかじゃないよ」と宣言したあとに「懐疑すること」と「批判的思考」を大学で身に付けて欲しいといって話をしめくくる。我ながらすばらしいプレゼンテーションである、とうぬぼれる。

 しかし、超能力のデモをしたその夜から、私は学生から「超能力の先生」とか「テレパシーの先生」などと呼ばれることになる。だから、違うんだっての!