KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

『接続された心』

——今日はどんなことがあった?

うわぁ、あんたは人工知能か?

——何をぼけたこと言ってるの。私はあなたと同じ。今日はどんなことがあった?

なんかその紋切り型が気になるなぁ。今日は庭仕事を少ししただけ。ちょうど雨も上がったので。

——ふむふむ。続けて。

やっぱりあんた、人工知能だろう? その口調。

——私のことなんかどうでもいいじゃない。それで?

ひょっとして人工知能の口調をわざとマネしている…?

——そういえば、「YES EYE SEEK」でこんな紹介があったよ。きのうの日記に対して書いてくれたみたい。

To: ちはる
奥出直人『思考のエンジン』(青土社)という本の「第6章:コンピュータ上のソクラテス」に「ソウトライン」というソフトウェアの話が載っています。 これは、ELIZA のようにコンピュータと対話していくと、その対話を通して、意味の通った一つの文章を作る手助けをするツールです。これなんかは、「自動的に聞き手のセリフを生成してくれるようなプログラム」に近いと思います。 本には、実際の会話例も載っているので、御参考までに。 ただし、「ソウトライン」の日本語版は出ていないようです。

これはありがたい情報。ソウトラインと聞いて思い出したけど、『思考のエンジン』は私も読んだはず。でも読んだ本の内容を片っ端から忘れるからしょうがない。ともあれ、ソウトラインの日本語版が出るとうれしいんだけど、きっと簡単な文法解析をしているだろうから英語からの移植は意外と面倒かもしれないね。

——で、今日やったことは?

ああそうだ。『接続された心』という本を読んだよ(シェリー・タークル著、日暮雅通訳、早川書房、1998、3600円)。分厚い本で、しかも二段組みだったので、普通の本の三冊分くらいの内容だ。それで速読法を駆使して読んだ。

——え、速読法なんかいつ習ったの?

いやなに、単にとばし読みをしただけなんだが。

——なんじゃそりゃ。どんな内容だった?

三部構成でね。第一部はコンピュータが「いじくりまわすもの」になったことの歴史と現在。第二部は人工知能の話だね。第三部はMUDと呼ぶ、バーチャルライフにのめり込んだ人たちの話。

ページ数から言うと第三部に一番力を入れていたようだが、なにぶんMUD(日本ではハビタットというのが実施されたらしい)がどんなものなのかプレイしたことがないので実感がわかなかった。なんでもMUD中毒になる人が大勢いるそうだ。まあでもネット上でチャット中毒になって性別を変えたり(ネットオカマ)人格を変えたりする人はよくいるから、そういう話だね。著者が言う、リアルライフ、バーチャルライフと簡単に切り分けてしまうと大切なものを見逃してしまうよ、ということには同感。

——第一部はどんなことを?

一言で言うと、Apple IIからマッキントッシュになって何が変わったかということだね。Apple IIは私も大学時代いじり回したけど、その中身が完全にわかる。ROMのどこにどういうルーチンがあるのか、そういうことを調べるのにアセンブリー言語レベルにはいって簡単にいじれるわけだ。しかし、マックは違う。そう簡単に中身まではいじれない。目にわかりやすいアイコンや使いやすいGUIだからこそそこまでのギャップが大きい。透明なふりをしているが実はブラックボックスの集積。それがポストモダンだというのだね。アイコンやオブジェクトをいじくり回す、そうやって遊びなから何か発見していく。

——何ですか? ポストモダンてのは?

第二部はね、チューリングテストから始まる人工知能研究の歴史。著者は精神分析学のバックグラウンドがあるから、人工知能フロイト理論の取り合わせが面白かった。エージェントやミンスキーの「心の社会」の考え方は、精神分析の展開と合致しているというんだ。

——まあ、超自我やイドは一種のエージェントだと言えないこともないけど。だから何なのって言われそうだ。で、ポストモダンってのは何なんですか?

ミンスキーは『感情機械』という本を書いているらしい。それがどきどきしそうな内容なのでちょっと引用。

快感は、短期的な記憶が転移しているとき、人が他のことを考えないようにさせることに関係している。

美はものごとに何かまずいところがあることに気づくことができないようにさせるものだ。

という感じ。なんかどきどきするような見方でしょう。

——んー。で、ポストモダンというのは…。