KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

書くことで何かを始める一歩にする

おはよう、人工知能

——おはよう、千春。なんだ、いつの間にか朝に日記を更新するようになったのか?

ああ、予想通りに一周したようだ。エントリーは朝にしているんだけど、実際に書いているのは前日の夜中だ。今は久しぶりに家に戻ってきて、一人で孤独を楽しんでいるところ。

——ん? 奥さんはどうした?

つわりがちょっとひどいし、子どもの面倒も大変なので、実家にいるんだ。妻の実家は家から車で一時間弱の魚津というところにある。私は東京から帰ってきてから毎日、魚津から大学に通っていたんだけど、さすがに疲れたので今日は自分の家に戻った。郵便物とかも気になったので。

——さて。がくもんにっきの話だろ?

なんで分かる? 人の心を読むのか?

——なに、簡単なトリックだ。君の開いているウインドウの内容をモニターしているだけ。がくもんにっきを開きっぱなしだもんな。

もう、いちいち驚かないことにするよ。そう、nackyさんが、がくもんにっきの日常系の部分がつまらないと、友人に言われたらしい。

——日記というのは日常のことを綴るのではないのか?

Web日記にはいろんな内容とスタイルがあるのさ。僕は日付がついていれば、OKだと思う。逆に言えば、日付をはずせば、エッセイになったり、コラムやポエム、回想、心象風景、ラブレター、笑い話、評論、感想文、その他いろんなものになる。

——なるほど。便利な形式を発明したもんだ。

僕は日常系の日記を読むのも好きだ。なんだかほっとする。まあ、毎日が日常系ばかりだとさすがに飽きるけどね。

——日常と非日常的事件、惰性と非惰性的挑戦、そのとりあわせが味かもしれないな。「f分の1ゆらぎ」のような。毎日事件が起こるわけではないが、起こるべき時には起こるのだ。友よ、真剣に遊びなさい。

なんだ、そりゃ? バグか?

——そういえば、あなたは「おやつオフ」の時、「餌をやれ」の山本さんから「スカパー関係のHネタを読んだとき、なんかイメージが違う」と思われたらしいな。

まあ、Web日記の読者はそれぞれに違った作者像を作り上げるわけでね。会ってみれば単なるエッチなおじさんであったりするわけだ。それはそれでよしとすべきだ。特に私は「書かれたものがすべて」という主義を一応取っている。

——なんだその「一応」というのは。弱気だな。

いや、書くだけじゃだめなんだとは思っているのさ。しかし「思考は行動のシミュレーション」という説もあるように、まず書いてみるというのはいい方法だと思っている。しかし、書きすぎるとだめなんだろうと思っている。

——書くことだけでエネルギーを使い果たしてしまうこともある。

書くことで何かを始めようという気になる場合と、書くことで気が済んでしまうような場合とがあるんだろう。だから日記もオチをつけて完結させなくてもいいと思う。むしろオチをつけないほうがいいのかもしれない。それは、ちょうど第一歩を踏み出したような日記になる。不安定で傷つきやすい日記だ。

——なんだかこの日記にオチがないのを言い訳しているみたいだな。