KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

学力のデフレスパイラルは本当か?

——きのうの「学力のデフレスパイラル」ということに関して道田さんからこんなお便りが届いているよ:

 ところで、今日(昨日?)の日記の、「学力のデフレスパイラル」という概念にちょっと疑問があります(うちでは朝日新聞は取っていないので、元記事は参照していませんが)。

 少子化で(教員養成系の)大学に入りやすくなる→教師になる人の学力が下がる→その教師に教わった子がまた教師になる

 ということでしたが、最初のヤジルシは本当に成り立っているのでしょうか?つまり、学力の低下した学生が、そのままみんな教師になっているのでしょうか?たとえば沖縄県では最近、教員の採用人数が激減しており、本当に優秀な学生でないと、なかなか教員になれない現状があります。これはおそらく、全国的な傾向でしょう。

 少子化ということは、大学に入りやすくなるという効果だけでなく、必要な教員数も減少する→優秀な学生しか教員になれない、という面もあると思うのですが。そうであれば、単純に考えれば、学生の学力が低下しているとしても、結果的に教員のレベルは維持されるのではないでしょうか(実際はもっといろいろな要因が絡み合っていて、そう単純にはいかないのでしょうが)。

 いずれにしても、現在学校で起きている問題を、少子化(による先生のレベルの低下)、と単純に片付けてしまって果たしていいのだろうか、と思いました。

お便りじゃなくて、掲示板でしょ。なるほど、さすがクリティカル・シンカーの道田さん、鋭いところを突く。これは元の記事を不正確に要約した私の責任もあるので、もう一度正確に引用するね。

 「結果として、学力が低下します。それも、とどまることなしに」。苅谷さんはこれを、経済で言うところのデフレスパイラルにたとえる。低下の仕組みは、こうだ。

 (1)高校を出るまでの授業時間が減る (2)少子化で大学受験も楽になる(教員養成系の大学も) (3)教師になる人の学力が下がる (4)その教師に教わった子が、また教師になる……。

というわけで私の要約では(1)が抜けていた。ここで、高校までの授業時間が減るということと、少子化は独立のことだから、因果関係をもう一度まとめてみるとこんなふうになるだろう:

(1) 高校までの授業時間が減る

(2) 少子化で大学受験が楽になる(だから受験勉強時間も減る)

(3) (1)と(2)により、大学生全体の学力が下がり、したがってその一部である教師になる大学生の学力も下がる

(4) 学力の下がった教師に教わる子供もまた学力が下がり、その子もやがて教師になる

——うーむ、問題は(3)の部分だね。道田さんの言うとおり、沖縄県に限らず全国的に教師の採用数は減っているから、本当に優秀な学生しか教師として採用されない。トップレベルの学生の質はあまり変わっていないのではないかということだ。

そうすると分数の計算が教えられない7割の教師はいったいどこの層かということが知りたくなる。最近の厳しい採用状況で教師になった人たちが分数を教えられないということは考えにくい。とすれば、これは採用数が多かった時代に採用された人たちなのかとも思える。

——ここらへんは詳しいデータがないとなんともいえないね。

「学力のデフレスパイラル」ということばはセンセーショナルで人々の危機感を喚起するには有効かもしれない。しかし、そのプロセスを立証することは難しいだろう。ある程度年数をかけなくてはならないし。教育社会学者のデータを待ちたい。私はとりあえず、今の学生さんに分数の計算をやらせてみようと思う。