KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

虚数の実践共同体に参加する

——「Santa Rosa がりゅう日記」の6/1で「反論待つ」と言っているのは、君を指名しているんじゃないのかい?

「i(虚数)が存在するというならi本のチョークを見せてみろ」といわれたアシモフが、「きっかり2分の1のチョークも存在しない」と反論したという話だね。でもこれについては「Island Life」の6/1で言い尽くされているように思うんだよ:

プログラマを生業とする私の立場からは、次のような問いがわかりやすい。 「『プロセス』は実在するか」。 プログラムというのは、これはディスクの中に記録された電気信号の列であるから、 まあある意味物理的実在と言える。これを、コンピュータに指令を 与えてプログラムを読み込ませて何らかの仕事を実行させるわけだが、 この時「実行状態にある個々の仕事」をプロセスと呼ぶ。 文化によってはタスクとかジョブと呼ぶこともある。 しかしプロセスの実体とは何か。実在するものはあくまでメモリ上のデータと、 それを処理する手続きを記したプログラムと、処理の主体であるプロセッサでしかない。 プロセスとはあくまで便宜上取り決めた仮想的な概念に過ぎない。

仮想的な概念、あるいは「仮説構成体(construct)」と言われれば、心理学は仮説構成体の森だからね。「動機」とか「無意識」とか「性格」とか。第一、「心」そのものが仮説構成体だ。心はいったいどこに実在する?

——心理学の事情はひとまず置いておくとしよう。ポイントは「2分の1」というコトバだな。それは日常的にも使う言葉なんだが、実は数学という世界で取り決められた仮想的な概念だ。アシモフはその点を突いている。

アシモフにあえて反論しようとすればその点だね。「2分の1」は数学のコトバでもあり、日常のコトバ(「半分」)でもある。アシモフはチョークを「半分」に折った相手が考えた「2分の1=半分」というコトバを、数学の「2分の1」というコトバにすり替えた。それはインチキだ。あるいはずるい。数学の「2分の1」は日常の「半分」に十分対応する。じゃあ「i」に対応する日常のコトバはあるのか、と僕なら迫る。

——だからそれはあるんだよ。「凹型効用日記」の5/26,27で言っているように、抵抗、コンデンサ、コイルにかかる電圧のずれを表すのに都合がいいんだ。四元数もCGで使われている。よくわかんないけど、とにかく使われている。

それは日常のコトバかい?

——電気やCGをやっている人には日常だ。

確かにそうだ。そうした人たちで構成されるものを(これも仮説構成体だが)「電気の実践共同体」とか「CGの実践共同体」と呼ぶことにしよう。つまり、そうした共同体の中では虚数の概念は「日常」の思考であり、道具的に取り扱われるということだ。

——そこに来たか。何のことはない、君の嫌いな「正統的周辺参加(legitimate peripheral participation)」の理論じゃないか。

あれ?