KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

学生のお守り、携帯電話

 授業中に面白いことに気がついた。学生の半数ほどは携帯電話を、まるでお守りであるかのように机の上に正しくまっすぐに置いている。キーボードのすぐ左上に置くものもいれば、ノートや教科書の上に乗せるものもいる。とにかく携帯の液晶ディスプレイが見やすいように、机のへりに対して正しく直角になるように置くのである。授業を受けつつ、誰かからの電話をそっと待ち受ける。それはあたかも神からの伝言を受けるかのようだ。

 携帯電話は学生のお守りだ。これさえあれば、なんだか安心できる。いつでもどこでも必要があれば誰かとつながることができる。お守りなのだ。

 誰かにつながることができるということは、いつでもどこでも必要のある相手かからもまたつなげられるということだ。そのときのために自分の携帯は待ち受けていなければならない。だから机の上に正しく置かなくてはならない。それは礼儀や心構えの問題である。

 おそらく、携帯は誰かからの電話を受けるということに意味がある。公衆電話はかけるということに意味があるのとは正反対だ。家にある電話もまた、かけるという方に重心がある。だから家にいても留守番電話にしておく人がいる。携帯は受けることに意味がある。自分がどんな場所にいようとも、またどんな状況にあっても、あなたの話を喜んで受けますよという、この姿勢こそが携帯の本質である。

 携帯を持つということは、神からの通話に服従するということだ。そして、その神とは、おしゃべり好きで少し寂しがりやの、自分の友達である。