KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

学会でのしびれるバトル

……あれ? 休日日記じゃないの?

kogolabサーバーをMacOS上のWebSTARからLinuxに変えたら、ほとんど落ちなくなったので、こちらに統合することにした。ただメリハリをつけるため、日付の部分だけ平日とは色を変えて、休日だよという雰囲気を出している。休日用に使ってきたニフティの方のページはまた使い方を考えることにする。

「愚一記」の7/16付日記にこんな一節:

社会科学者の間での議論というものは、部外者の方には喧嘩に見えるかもしれませんが、あれは社会科学なりの議論の仕方なのであって、各々の立場を主張しながら、お互いの認識を高め合っているのです(全部がそうだとは言い切れないが ^_^;;)。

…中略…

喧嘩腰なのは、コートに立ってゲームをしようと呼びかけているのです。最後まで平行線でも、議論そのものを楽しんでいるのです。ゲームをしても刺激がない相手に対しては、本当に冷たいですが。

 僕は基本的に喧嘩腰が好き。それはこの引用が言っているように「議論をなあなあでやったって時間の無駄でしょう」ということ。喧嘩腰、あるいは挑発的な物言いは、「コートに立て」という宣言ね。たとえ話がすれ違っていたとしても、それはやってみなくてはわからないこと。すれ違いがわかるだけでも収穫。ひょっとすると、全く違うところから交差点が見つかることもある。

 これから学会のシーズンにはいってくるんだけど、学会によっては、こちらが質問して「コートに立て」と言っているのに、「まあまあ、この場は穏便に。あとは楽屋でやりましょう」となることが多いなあ。本当は逆なんだけど。つまり、楽屋では穏便に、公開の場では過激にね。そういう意味では、佐伯胖さん(心理学)なんかは挑発するのがうまいなあ、と思う。

 先日の大学教育学会では「コートに立て」的質問が多くて、久しぶりにしびれた。しかし、それでも時たま、質問にかこつけて自分の自慢話を始めるボケもいる。質問は1分以内、回答は3分以内で決めるべし。質問/回答のやりかたも訓練が必要なんだ。

 今まで一番頭に来たのは、私の意図的喧嘩腰質問に対して、「なにやら気色ばんでいる人がいますが」という一言で切って捨てた、その領域では大御所らしい先生。それ以来、その人に対しては最大級の軽蔑を捧げている。まあ、教育研究の領域ではこういう偉そうな人がちらほらいるような気がする。それはこの領域が科学になりきっていない証拠かもしれない。まあ、そのうちいなくなると思うけど。

 どうか今年の学会ではたくさんのバトルが見られますように。