KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

「数学には正解がひとつ、だから好き」

 先日、私の所属しているコースの推薦入試がおこなわれた。このコースは、教育学部・情報教育課程・教育情報システム専攻という長い名前だが、情報システムのことが分かり、しかもその教育への応用ができるような人材を育てることを目的としている。推薦入試は、午前中に小論文試験をやり、午後は面接をして、総合的に判定をする。今年は、6人募集のところに16人の志望者がきた。

 面接では、一人当たり5分程度の時間しかとれないので、あまり深いつっこみはできない。それでも、このコースでは、数学やプログラミング関係の科目が必修になっているので、大丈夫かどうか、という覚悟のほどを聞いておくようにする。

 そうすると受験生はちゃんとそうしたことは調べてあって、「数学は好きですから、大丈夫」と答えてくれる。なるほど、数学が好きなのか。それは「分数のできない大学生」が話題になっている昨今、とても心強い回答だ。

 となれば次は「じゃあ、数学のどういったところが好きなんですか?」ということを聞きたくなる。

 「数学は答えがひとつだから、好きなんです」

 少なくとも2人から、こういう回答をもらった。1人目がこう言ったときは、それがどういうことを意味するのかよく分からずに素通りした。まったく同じことを2人目が言ったときは、ちょっとドキリとした。もしかしたら、面接では、数学が好きな理由をこう答えなさいと指導されているのではあるまいか。まさか。そんなことまで指導するわけがない。

 数学が好きな理由として私が考えられるものは、たとえば、一見複雑そうな現象でもそれをきれいで単純な数式で表せるとか、何かを証明するのがパズルみたいで面白いとか、同じ解答を求めるのにいろいろな方法で解決することができるなどのことである。

 「答えがひとつだから、好き」という回答をあまり深読みするのは意味がないかもしれない。少なくとも高校生は数学という科目をそうとらえている。確かに国語などの科目と対比するならば、正解かそうでないかがはっきりと分かる。それ以上のことは言っていないんだろう。

 しかし、そうだとするとちょっと寂しいなという感じが残ったのである。