KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

知覚運動協応としてのDDR

 いまさらながらダンス・ダンス・レボリューション(DDR)に励んでいる。月末に開く新ゼミ生歓迎コンパでDDRの試合をするからだ。ゼミ室にはプレステと専用(足)コントローラが準備され、いつでも練習できるようになっている。それで時間を見つけてはステップを踏んでいる。

 しかし、こういうゲームは若い人にはかなわない。私もインベーダーゲームに大量の百円玉を注ぎ込んだ世代なのだが、足技は不得意だ。くやしいがゼミ生はどんどんうまくなって、すでに「ハード」レベルの曲を踊っているのに、私はまだ「ノーマル」レベル。それでも練習してヘタになることはない。少しずつだが足の動きも滑らかになって、足マーク二つの曲ならば、途中打ち切りにならずにこなせるようになった。どんなもんだ!

 DDRを使ってダイエットに成功した人もいるらしい。確かにステップの激しい曲だと、一曲踊っても息が切れるくらいだ。それでも面白いので続けてやる。この面白さは、カラオケに似ている。練習してうまく歌えるようになったときの快感。それがステップに代わったわけだ。万歩計をつけて歩くよりも楽しいし、汗をかく。

 DDRは心理学で言うと、知覚運動協応/知覚運動学習というやつだ(たいていのテレビゲームはそうだが)。たとえば目の前にあるコーヒーカップをつかもうとするときに、私たちはまず目でそれを見て、位置を確認して(知覚)、その場所に手を伸ばし、そしてカップをつかむ(運動)、ということをやっている。これは簡単なことだが、けっこう複雑な活動だ。ロボットにやらせようとするとそれがわかる。目で見てカップの位置を計算し、どれだけ腕を伸ばせばいいかを測り、しかもそのとき自分はどの位置にどういう姿勢でいるかも加味しなくてはカップはつかめない。

 ふだんは意識できない知覚運動協応を確認するには、たとえば逆さメガネをかけるとわかる。これはプリズムを組み合わせてあって、上下(あるいは左右)が反転して見える。これをかけると、目の前にあるコーヒーカップがつかめなくなる。今まで当たり前のようにできていた知覚と運動の対応づけ(マッピング)がまったく新しいものになったからだ。これを学習しなくてはならない。しかし、これも数日でできるようになる。

 逆さメガネがない場合は、パソコンのマウスを上下逆さで(つまり、コードが出ている方を手前になるようにして)使ってみると、この感覚が味わえる。最初はマウスカーソルが思う方向にいかずにいらいらするが、数時間使い続ければできるようになってしまう。知覚運動協応のマッピングが成立したのだ。

 DDRも「↑を見たら、上ボタンを足で踏む」、「←→を見たら、右と左のボタンを同時に踏む」というようなことを学習していく過程だ。もうDDRは全部マスターしてしまってつまらない、と嘆いている人は、専用コントローラーを90度回転させて置いてプレイするといい。初めはまったくできなくなるので初心者の楽しみを再び味わうことができる。しかし、それでも練習すればほどなくできるようになってしまう。マッピングを作り直したのだ。

 一度成立したマッピングは強固なように見えて、けっこう柔軟である。