KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

卒論発表会〜プレゼンの進歩と最終ライン

 私が所属するコース(教育学部・教育情報システム)の卒論・修論発表会であった。今年は卒論の提出から3日後に発表会というスケジュールだったが、みんな立派な発表をしていた。あとで、発表者とタイトルの一覧をアップしておくことにしよう(今日は学内LANが不調なので)。

 卒論発表は21人で、発表時間8分・質疑2分。修論発表は4人で、発表時間15分・質疑5分。全国大会の学会発表なみの短い発表時間なので、なんとかもう少し余裕を取りたいのだが、人数の関係上これがぎりぎりのところだ。ポスター発表という手もあるけれども、やはり全員が聞いている前でプレゼンや質疑応答をするという経験は価値のあるものになると思うので、当分はこのスタイルで行くだろう。

 ここ数年で、プレゼンテーションは確実にうまくなっているという印象がある。もちろん3年次での中間発表会などでプレゼンの機会を設けているという効果もあるのだろう。しかし、細かく見れば、原稿を読みっぱなしで顔を聞き手の方にめったに向けなかったり、またスライドばかりを見ながらしゃべっているケースもある。とすればプレゼンがうまくなったという印象はスライドによるものかもしれない。今回は全員がパソコンとプロジェクターによるスライド映写(OHPを補助に使ったケースもある)で、そのスライドもほぼすべてがパワーポイント(Mac版、Win版)で作成されたものだった。恐るべしパワーポイント。しかし、それでもまだ字が小さすぎるもの、文章を詰め込みすぎるもの、図表の読めないものがある。伝えたい情報を厳選して、力強く表示するテクニックがこれからの課題だ。厳選にもれた情報は予備のスライドとして作っておき、質疑のときなどにさっと出すというようなことができれば、最高だと思う。

 卒論・修論発表会のもうひとつ別の意味は、批判を受けるということにある。自分の研究室の中で研究していると、だんだん自分がやっている研究の意味が分からなくなってくる。自分のやっていることだからわかりすぎて、かえってわからなくなってくるのだ。それをある時に区切りをつけて、発表して外の人に聞いてもらう。辛口のコメントをもらうことがあるが、それこそが宝の山だということに気がつく。もちろんほめられればうれしい。しかし辛口コメントこそが自分の研究を別の切り口で見ることを教えてくれるのだ。もちろんコメントが辛口すぎれば、私も熱くなってやり返す。コメントに対する回答と反論はすべて発表している学生がするわけだが、いよいよ最終ラインまで来たとなれば、それはディフェンス側の人間として反撃するのが責務である。しかし、そうしたやりとりが結局は大収穫になる。