KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

雪だるまを作りながら考えた

 娘のために雪だるまを作りながら考えた。「あと20年間で何ができるのかを考えて仕事をした方がいい」と。そういう年頃になったということだ。10年も大学の教員をやっていれば、自分にどれくらいのことができそうかということはわかってくる。とすれば、今自分にできることで意味のあることを絞り、それに力を集中していくことが必要なのではないか。

 これから20年間、まだ大学の教員をやっているのか、とか、今の職場に居続けるのかというのは誰にもわからない。クビにならない限りやっているような気はする。今の仕事を割と気に入っている。じゃあ今の大学に居続けるのかと問われれば、これまでに移る機会はゼロだったわけではない、と答える。しかし、結局のところ移らないことを選択してきた。それはいろいろな条件があったわけだが、最終決断をしたのは私だ。職場への帰属意識は薄いのだが、それでも何かそのためにしなければなるまいと思うようになってきた。それが「あと20年間で」ということにつながった。

 職場を移ることによって、ステップアップをし、より優れたプロになるということは日本でも増えてきている。大学でも人材の流動化が必要ということが言われているわけだが、たいていの場合は「動いて欲しくない人が動き、動いて欲しい人は動かない」ということになる。うまくいかないものだ。いや、これはあくまでも「動かない人」の視点だから、全体としてはうまくいっているのかもしれない。有能な人は動くのだ。しかし、動かない人の中には、自ら動かないことを選択した人と、どこからもお誘いがかからない人の2種類ある。動くことが有能であることの証明であると考えて、動くこと自体に魅力を感じるのは錯覚だ。有能であるならば、評判をはじめとして、そのことの証明はいくらでもあるはずではないか。

 職場を移ることは、それだけで新しい仕事に携わるということだから、自分の能力の開発になる。だからある年齢までは新しいことをするのがよい。自分が何に向いているのかはいろいろな体験をしなければわからないからだ。しかし、自分の傾向がある程度までわかったら、できることに力を集中するのがよい。それは一つのあきらめでもある。しかし、自分に与えられた時間が有限だということを実感する年齢になると自然にできるようになるのである。

 娘のコトバでは「雪だるまさん」は「だましゃん」になる。だましゃんを3つ作った。