KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

仕事はそのためにある

 楽しい仕事と嫌な仕事がある。仕事をするなら楽しくやりたいとたいていの人は思う。「金を稼ぐためには仕事がつらくても仕方ない」というのはウソだ。すべての仕事は楽しいものになりうる。それはお金が儲かるから楽しいとか、逆に、お金とは無縁だからこそ楽しい、ということではない。仕事の楽しさはその稼ぎとは独立している。仕事に付けられる値段は、その仕事の過程で当人が楽しかったかどうか、あるいは苦しかったかどうかということとは無関係に、マーケットの原理によって決まるのだ。たとえば、一生懸命やっているのにへたくそな散髪屋には私たちは高い金を払いたくない。

 仕事が楽しいと感じられるのは、自分がその仕事に没入したときだ。逆に仕事がつらい、やめたいと感じるのは、自分がいつまでもその仕事に没入できないときだ。仕事が自分とは無関係である(つまりただ金を稼ぐための手段として仕方なくやっている)と感じれば、没入することはできない。しかしどんなに嫌な仕事であっても、しばらくそれに携わっていると無関係でいることはもはやできない。それは義務や義理でつきあっていてもそうなのだ。義理でも義務でも一定以上の長い時間かかわった仕事にはもはや無関心ではいられない。これは単純接触効果(接触頻度の高いものに好意を抱く)なのか、長時間接触したという事実が我々の認知を(これは何かあるはずだ)と変えるのか、そのメカニズムは社会心理学の問題だ。いずれにしてもある程度以上の時間、ある仕事にかかわればそれに愛着を抱く。

 愛着を抱いた仕事は楽しいものに変化する。楽しいからいろいろな工夫をする。そのことによってますます愛着を抱くようになる。もはや仕事は自分の一部分になってしまう。仕事は自分の生活を仕切るペースメーカーになる。そのとき仕事は自分自身のためにあるということになる。仕事を楽しそうにしている人たちはこのサイクルに乗ったのだ。