KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

誰のための報告書?

 年度末は報告書の季節でもある。自動的に報告書作成の予算が付いている場合もあるし、特別に予算を獲得したために報告書作成の義務が生ずる場合もある。いずれにしても、なかなかおっくうな仕事である。書く仕事というのは、まとまった時間が必要なので、卒論や入試業務や新年度への準備などでばたばたしているこの時期には本来はふさわしくない仕事といえよう。たとえば夏休みに報告書を書いてしまうというのはいい方法かもしれない。しかし、そんなことをする人はいない。

 年度の押し詰まった時期に書こうとするからいけないのだ、ということに気がつけば、節目節目で投稿論文や大会発表、または研究会のレポートとして書いておいて、年度末にはそれを取りまとめるだけという計画的な方法を採るだろう。こうしておけば、年度末報告書では目次を書くだけでいい。報告書のためだけに新しく原稿を起こすことがおっくうな理由の一つには、それが業績リストにも載せられないということがある。査読を受けているわけでもないし、専門を同じくする人たちの前で発表されたわけでもないからだ。とすれば、すでに公の場で発表されたものを収録するのは正当な報告書の作り方だといえる。

 報告書のために書いた原稿を元にして、論文を書いたり、研究会報告をするという逆の手順もあり得る。しかし、年度末の報告書はそれまでにやった仕事の総まとめという意味合いがあるから、逆の手順はそぐわないかもしれない。また、論文や報告の「すでに公表されたものではないこと」という基準に引っかかる場合もある。

 論文ばかりが発表の形態ではない。本や雑誌記事でもいいし、解説やチュートリアルでもいいし、ワークショップの資料でもいいし、またマニュアルという形もある。講演録や座談会記録なんてのもある。こうして見てみると、どんな形態であれ、ちゃんとドキュメントの形にしておくことが大切だ。ドキュメントになっていれば、あとでいろいろな形式に加工することができる。とはいえ、一仕事終わったあとで、それをドキュメントとして整理加工しておくのは面倒だ。だからついついそのまま書類を「超整理袋」に詰め込んで本棚に立てておしまいにしてしまうのである。しかし、仕事が終わった時点でのもう一仕事が後々役に立つ。

 このWeb日記もそういう意味で、日々のドキュメント化である。