KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

主のいないホームページ

 私の研究室では、ゼミ生にWeb日記を書くことを推奨している。2年次の終わりに学生は所属するゼミを決めることになっているが、私のゼミの紹介で、「飲み会はほとんどないこと(DDR大会はある)、授業を手伝ってもらうこと、そして、Web日記を書いてもらうこと」を事前に納得してもらうようにしている。というわけで研究室のトップページには、ゼミ生の日記ページへのリンクが張ってある。

 Web日記を書くことが条件だとは言っても、書かなければ単位を出さないとか、そういうことではない。時々「Web日記が去年の11月で止まっているね」などとイヤミを言うくらいである。意地悪ではない。Web日記を読みたいというさりげない表明である。

 さて、ゼミ生はいつか卒業する。主が卒業したあとのWebページとWeb日記はいったいどうなるのか。卒業と同時にその人のWebページも削除するというようなことはしていない(←単なるものぐさ)ので、次のどれかの状態になる。

  • 自分でファイルを削除したので「File Not Found」状態
  • ファイルを削除し、「さようなら」という1ページだけ残した
  • 卒業時点の状態のまま残っている

 ゼミ生自らがファイルを削除したり、「さようなら」というページ(なぜ「先生ありがとう」ではないのか?)に差し替えたりすることはまれである。卒業間際の彼らの頭の中は卒業旅行のことでいっぱいなのだ。というわけで、たいていの場合は卒業の時点の状態のまま残っている。「ただいま制作中!」というメッセージが掲げられたままの場合すらある。青春の日々をつづったWeb日記はそのときのままの姿で、ずっと残り続けるのだ。

 時の止まったWeb日記は、主のいないホームページである。いつしか卒業生が30歳、40歳になり、なんの偶然か、向後研究室のホームページを見つけて覗いてみると、そこに学生時代の自分のWeb日記を見つけるのである。恥ずかしさと感動で胸がいっぱいになるだろう。その時を待って、卒業生のWebページはひっそりと眠り続ける。(あ、卒業生は自分のページを削除しないで良いからね)