KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

読み手の感度は増幅される

 ネット恋愛について考えていて、思いついたこと。

 電子メールのようにテキストに制限されたメディアでは、その真意を読みとるために読み手側の感度を上げる必要があるのではないか。感度が上がっているために、しばしば書かれたテキスト以上のことを読み手は読みとってしまう。テキストの中にほのかに見えた「好意」や「優しい心遣い」を発見すれば、読み手はそれを何倍にも増幅して自分に取り込む。それが恋愛感情に発展したとしてもなんら不思議ではない。逆に、「突き放したことば」を発見すれば、自分が捨てられたかのように嘆き悲しむ。それが憎悪に発展したっておかしくない。

 対面で話しているときはこんなことは起こらない。それは話している相手の表情、しぐさ、声の調子、感情の込め方といった話の内容とは関係のないところ(パラ言語)で、その話の内容の意味が即座にわかるからだ。その内容を真剣に受け取るべきか、戯れ言として聞き流すべきか、それはすぐに判断がつく。おしゃべりの内容についていちいち吟味しなくてもいい。重大な話であれば、話し手は真剣な表情で話すだろう。そのときだけ真剣に聞けばいいのだ。それはめったにあることではない。だから、私たちは気軽におしゃべりができるし、無責任に噂を流すことができる。

 「愛してる」というセリフを、無表情に言ったり、冗談の文脈で言ったり、後ろを向いて言ったりするのは、真剣に相手の目を見つめつつ感情を込めて言うよりも効果的なことがある。これは表情や声の調子をわざと隠して、「愛してる」という制限されたテキストだけを相手に提示することによって、相手に積極的にその意味を読みとらせようという高等テクニックだ。もちろん脈がなければ、「冗談やめてよ」で終わりであるが、その場合は「あ、ばれてた?」という逃げ道もあるというすぐれた方法なのである。

 「愛してる」の類のことばをテキストの中にちりばめるのは、あまり効果的ではないだろう。読み手の感度が上がっているところでのそうしたことばは、読み手にはウソくさく感じられるはずだ。というのが、理論的な帰結なのだが。