KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

寒天菓子には懐かしいやすらぎがある

 缶詰のフルーツに寒天を流し込んだものをよく妻が作ってくれる。寒天フルーツを食べていると懐かしい気分になり、ほっとしてくる。

 子供の頃の駄菓子屋さんにはいろいろとわけの分からない食べ物がたくさんあった。単に甘いだけではない微妙な苦みの入ったあんこ玉にきな粉をかけたもの。試験管のようなプラスチックの容器に毒々しい色の付いたペースト状のものが入れてあり、それを竹ひごのようなものですくって食べるもの。私が一番好きだったのは、寒天菓子で、これもやはり妙な色が付いていたが、あんずのカスのようなものが申し訳程度にはいっていた。

 そのときの寒天の味が忘れられないで、今でも寒天を食べると妙にやすらいだ気分になってしまうのかもしれない。

 いつも妻が作ってくれるフルーツ寒天には、パイナップルとミカンがはいっている。なぜパインとミカンかと聞くと、その缶詰がよく安売りしているからということだ。100円で買えるのだそうだ。私としては、モモ、できればアンズがはいっていて欲しいと常々思っていたので、そう伝えると、モモやアンズの缶詰は高いのでだめだという。ひょっとしたら、うちは貧乏なのではないだろうか。

 もう一つ注文を付けるとすれば、フルーツは細切れになっていて欲しい。そうすれば寒天とのなじみがよくなるでしょ。しかし、妻は大きいままのフルーツの方が見栄えがいいと主張して譲らない。輪切りのままのパイナップルがはいった寒天と、カスのようなアンズがはいった寒天とどちらがいいかと聞かれたら、私はカスのようなアンズの方を取りたい。