KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

相手の発言の意図を読み取る

 「論争に勝つ」の話の続き。bLatz日記(3/9)より引用:

「論争に勝つ」を読んで、わぁ〜っと思った。

  • 開き直り。反論や弁明はしない
  • 相手が安易に使用している言葉を「わからない」と言って逆質問する
  • 質問のまま返して、相手にしゃべらせ、破綻を待つ
  • 具体的な指摘で、小さなスキから突いていく

これ日常的にやっているよ〜。オレどこでこんな方法習ったんだろう?

こう言い換えてみればどうでしょう。  

  • 相手の議論で納得できる点は認める。反論や弁明はしない
  • たがいに食い違って使用している言葉の定義を求める
  • 相手の質問が一般性を持っているのか、相手の論点に適用して(なりたつのか)検証する
  • 具体的な指摘で、小さな論理上の不備を解消する

こういうとマトモだよなぁ。

 最初の4つの方略(方略Aとする)のそれぞれをあとの4つの方略(方略Bとする)に言い換えると、確かにマトモになるなあ。「議論をするのならば、相手と共同で何か新しいものを作れるようなそういう人としかしたくない」という意見表明に対しても、「それでは何かを変革していくことはできないのではないか」という鋭いつっこみを掲示板で受けていた。それで、しばらくそれについて考えていたのだが、意外に簡単なところに答えがあった。

 それは「意図」ということ。意図というのは、議論を行ってどこに行きたいのか、何のために議論をするのかということ。bLatzさんの例でいえば、方略Aは「相手を打ち負かそう」という意図において有効であるし、一方、方略Bは「相手と議論して何かの実りを得よう」という意図において有効だということだ。方略Aも方略Bも、行動的には言い換え可能で、等価なものなんだけれども、その「意図」が決定的に違うということだ。たとえば「あなたの使っている【日本国民】とはどう定義されるのか?」という発言は、「ごねてる/揚げ足を取って議論の優位に立とうとしている」という意図の場合もあれば、そうではなく、「議論をいっそう緻密なものにしようとしている」という意図の場合もあるだろう。同じ発言でもその意図はまったく違うことがある。

 同じ発言なのに、なぜその意図の違いが聞き手にわかるのか、という問題が出てくるが、わかるのである。私たちは日常的に相手の発言を聞きながら、その内容以上に、それで相手はどうしたいのか(愚痴を聞いて欲しいのか、ケンカを売っているのか、取り入ろうとしているのかなど)という意図を読みとっている。談話研究や談話分析という研究領域で「意図の問題」というのをやっているということを聞いたことがあったが、なぜそれが面白い問題なのかよくわからないでいた。しかし、そうか、内容以上に意図の読み取りの方が談話では重要なのだということに気が付いた。

 たとえば、誰かとオンラインで文章のやり取りをしているときに「誤解」が生じることがある。「誤解」というのは、話の内容の理解に失敗したということではなく、「相手の意図の読み取りに失敗した」ということが多い。そういう場合は「誤解です」のあとに「そういうつもりで言ったのではありません」と続く。これはつまり、「私の意図があなたには正しく伝わっていない」ということだ。この種の誤解を解くためには「もっと私の文章をちゃんと読んで下さい」と言うのではなく(内容の問題ではないのだから。ましてや切り刻んだ引用を使って弁明するのは逆効果)「私はこういうつもりなのです(仲間に入りたい/ケンカを売りたい/名前を売りたい/議論を楽しみたい/なんとなく/など)」ということを説明する方が解決が早い。しかし、我々は自分の意図をあからさまに相手に伝えることについて意外と臆病なのかもしれない。

 日記猿人参加者という集合の中でも、さまざまなトピックについて議論が巻き起こることがあるが、発言者の意図の読み取りという視点から眺めてみるのも面白いフィールドワークになるかもしれない。なぜ私たちがどんな発言を聞いても、かなり正確にその意図を読みとることができるのか、そのメカニズムを明らかにするのは面白い仕事だ。そのキーはメタ・ディスコース(発言者が自分の発言をどう読んで欲しいのかということを表明した部分)にあると思われる。