KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

充実感では充実しない

 2月も忙しかったが、3月も忙しさが続いている。とはいえ、朝9-10時に出勤、夕方6時半にきっちりと帰るという毎日だ。イメージ的にはもっと不健康そうな生活を送りたいのだが、子供ができてから帰宅時間はほぼ一定になりつつある。そして昼休みには毎日バドミントンをする。すごく健康的である。こんな生活、想像していなかった。毎晩遅くまでチャットにはまり、空が白々と明けるころに布団にもぐり込むような、あの生活は何だったんだろう。目が覚めるともう夕暮れ時だった日々。

 規則的に仕事をしているのは、忙しいとは言えないような気がする。忙しいというのは、「ああ〜時間がない」とか言って髪の毛をかきむしったりする状態だ。いやでも徹夜をしなければならないような状態だ。少なくとも忙しいという人はバドミントンはしないような気がする。しかし、一人で髪の毛をかきむしってもどうにもならないことはよくわかってしまったし、徹夜はもうできない身体だ。もし徹夜をしたら、その後24時間寝てしまうような気がする。もともとロング・スリーパーなのだ。徹夜なんかしたら逆に命取りになる。コンスタントに事を進めることだけが、平凡な才能に恵まれた人間にとって最善の方略だ。そのことがわかってきた。

 しかし、規則的な毎日は死んだような日々である。旅行にも行けないし、映画も見に行けない。コンサートにも行けない。一杯飲みに行くということもない。オフ会にも行けない。スケジュールがきっちりと決まっているので、それを外すことができない。スケジュールの手帳になにも書いていない日がない。毎日何か書いてある。スケジュールの埋まったカレンダーは窒息をイメージさせる。実に死んだような毎日である。

 仕事が進めばそれは充実感という手応えを与えてくれる。しかし充実感だけでは、皮肉なことに、充実しない。遊びがなければ、毎日は生き生きとしてこない。遊びだけの毎日は空疎だけれども、充実だけの毎日もまた空疎なのだ。