KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

今も大学はモラトリアムなのだろうか

 風邪は治りかけてきたのだが、まだ咳が残っている。しつこい。早くバドミントンを再開したいのだが自重している。

 この3月に卒業したゼミ生4人のうち、2人が東京に出る。就職したわけではなく、1人は声優になるという目的をもって、働きながら劇団に入って活動したいという。もう1人は、Webページのデザインを仕事にしたいということで、そのための専門学校に入って勉強するという。

 このところ大学生の就職状況は厳しい。それとともに卒業してもすぐに就職しない人も増えてきている。もちろん就職が厳しいとはいっても、会社を選ばなければどこかにはいることはできるのだろう。しかし、そういうことをしないで、あくまでも自分がやりたいことを重視する卒業生が増えているということなのだろう。

 声優志望の人は別にして、Webページデザインの仕事などは、もしその気があれば大学の4年間でかなりの部分は身につけることができたのではないかと思う。そのためのコンピュータやネットワークの環境は整っていたはずだ。大学を卒業したあとに専門学校に行くということが、私にはちょっと引っかかるのだ。しかし、そんなものなのかもしれない。大学の4年間を何となく過ごしてみてから、やっと自分がやりたいものが見つかるような、そんなペースがふつうなのかもしれない。モラトリアムというやつだ。

 今もモラトリアム(猶予期間)というモデルは有効なのだろうか。あるいは、就職後ですらモラトリアム状態が続いていて、もはやモラトリアムとそうでない状態の境界線はなくなってしまったのだろうか。あるいは、大学生時代からベンチャー企業を立ち上げる人々が増えていることを考えると、モラトリアム期間の長い人と、モラトリアムの短い人との差が激しくなっているというふうに考えるべきだろうか。つまり分散の拡大。

 こんな時代には大学はどうあるのが有効なのだろう。これだけはしっかりと身につけるべしというコア部分の確立と、それ以外の部分はできるだけ多様化して、選択肢を多く備えるということだろう。まあ、声優の養成コースを用意することは無理だとしても。