KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

私には時間がない

 富山に戻る。今月はこれで出張は終わりの予定。出張は週末にしかしない主義。しかし、それで週末がつぶれてしまうと、庭の草取りができない。それが悲しい。畑の畝に、みるみるうちに雑草が茂ってゆく。

 KENさんの日記を読む。世の中には深夜まで仕事から帰ってこない父親がたくさんいる。私は、夕方6時半になると、後かたづけをして、名残惜しそうに自分の研究室を去る。あと、もう少しできたら、いろいろな仕事がはかどるんだけどな、と思いながら。しかし、子供と妻のために家に帰る。

 私には時間がない、と思う。本を読んで勉強したいことがたくさんあるのだけれども、それもままならない。20代の時はくさるほど時間があった。むしろ時間しかなかったというべきか。どんな知識でも技能でも、それに時間をかけて努力をすれば一定のレベルに到達するものだ。まさにそれを実践していたのが20代だったような気がする。才能なんてものは、全体の99%を占める凡人には無関係なことなので、考えるに値しない。要は、そのことに時間をどれだけかけたかということで決まる。

 私はもう40代なのだが、気分はおそらく20代のままだ。だから、いまだに「やればできる」と信じている。実際それは正しい信念なのだが、問題は「やる時間をどう作るか」にかかっている。つまり、時間がなければやれないし、やれなければできない、ということになる。

 時間の使い方を再検討すべき時期が来ているようだ。何かをあきらめなければ、他に当てる時間は確保することができない。これまで、私はかなりのことをあきらめてきたと思っているが、まだまだ足りないようだ。たとえば、この日記も、あと30分の時間を当てられればもう少し突っ込んだことが書けそうな気がする。しかし、それはおそらく幻想なのだろう。