KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

言語表現の部会長になる

来年度から、言語表現部会の部会長になる。

ああ、また出なきゃいけない会議が増えるのだろうな。

しかも、教養教育の見直しが行われている時期だ。一年生に対して、「基礎ゼミ」というのをやろうという案が出ているらしい。私のいる専攻では、すでに数年前から、基礎ゼミをやっているので、「やっとそういう話がでてきたか」という印象。それでも、基礎ゼミを専門教育の基礎と位置づけるのか、あるいは教養教育として位置づけるのかということでもめているらしい。

どちらでもいい。いずれにしても大学生として、共通に獲得されていることが期待されるようなスキルはやっておかなくてはならないでしょう。基礎ゼミと言語表現科目や情報処理科目とは、かぶるところが当然出てくる。とすれば、言語表現と情報処理と「大学とは何か(高知大の大学学)」のようなものを統合して、一年間でやっていくという形態を考えてもいいかもしれない。それを基礎ゼミと呼んでもいい。

そういう形になれば、言語表現と情報処理の選択というような、現在の不完全な形式ではなく、両者の必修化ということが実現できる。そういう可能性はある。

その時点で、言語表現や情報処理としてどういう内容を教えるかということが、もう一度検討されることになる。次の一歩は、かなりつらいものになりそうだが、これを越えなければやっている意味がない。

部会長には手当は付かないそうだ。

これはおかしいのではないかなあ。教養部が解体されてしまってから、ワンランク下げられているのか。部会長デビューの会議では、まず最初にこの問題提起をしてみたい。「手当を付けてくれ」と。

そんなことをいいだすと、様々な委員会の委員や、委員長にも手当が付けられるべきだな。それは業務範囲内であるという捉え方もあるだろうが、委員になっていない人もたくさんいる中で、同じ給与というのは納得できない。働いている人はめちゃくちゃ働いているもの。会社なら査定というのがあるけれども、大学ではそれはない。とすれば、手当でそれに報いるしかないのではないか。そういう積み上げ方式がいいと思う。

今は、なんでも委員を決めるのに、無責任な全員投票によっている。手当が付けば、志願する人も出てくるだろうし、仕事に責任を持つようになってくるだろう。

いろいろな場面であてはまる法則だが、「タダのものに進歩はない」。