もしコミュニケーションサイクルを研究対象とするならば、データはその会話しかないではないか。だから会話分析なのだ。なぜならばそれ以外にデータのとりようがないから。
会話データは採取され、分節化され、細分され、コード化される。そしてそのやりとりに法則性を見いだそうとする。
しかし、会話分析へのもうひとつ別のアプローチはこうだ。会話をコード化しない。そうではなくて、それを生のままで、そのまま扱う。それはコード化したときに失われてしまうものがあるからだ。それはニュアンスや微妙な言い回しということではない。そうではなくて、同じような言い回しのなかにまったく違うものが含まれているからだ。
たとえば、相手を励ましたいときに「がんばれ」というのと「リラックスして」というのでは違う。「リラックスして」というのと「はじめにまず水を飲んで」というのもまた違う。ここでは、会話の粒度、あるいは具体性の度合い、がポイントになっている。内容はコード化できる、と単純に考えはまずいだろう。