KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

続けようと努力する方が楽しい

痛風の発作が起こって以来、バドミントンは中止している。激しい運動はあまりよくないという情報があるからだ。その一方で、人間ドックにいったときに相談した先生は、「好きな運動をやっても問題なし」といっていた。その後、ウオーキングに切り替えている。

今日は久しぶりにテニスをした。とてもさわやかな天気で、まるで「テニスをしなさいな」といわんばかりだったから。意識してみると、テニスはウオーキングに似ている。歩いている時間が長い。球を拾いに行ったり、サーブのサイドが変わったりして、いつも歩いている感じだ。

バドミントンのときもそうだが、テニスの場合も、常連という人たちがいて、かなりの高い確率で昼休みのコート上にいる。今日も「ダブルスをやりませんか」と誘われて、一緒にやった。実にうまい。

私は、いつでも「決めよう、決めよう」としているが、彼らは常に「続けよう、続けよう」としているようだ。「決めよう」とすると自分でミスをしてしまうものだ。その結果、ラリーが終わってしまう。「続けよう」とすると、相手の打ちやすい球を出そうとする。その結果、ラリーが続いて、楽しい。「それでいいのだ」と悟る。バカボンのパパみたいだ。

なんで楽しいラリーを終わらせる必要がある? 続けようとしても永遠には続かないことがわかっているのだから、お互いにラリーを続けようと努力する方が楽しいことに気づくべきだった。