KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

この4年間を振り返る(その3:2000年)

今日から、正月休みにはいる。久しぶりにいい天気で、立山連峰がくっきりときれいに見えた。子供たちのために、去年買った洋だこを飛ばす。明日からは雪らしい。

さて、振り返りシリーズその3、2000年の巻。

授業研究へのシフト(2000年)

研究のことを少し書いておこう。もともと私は実験心理学が専攻だった。実験をして、そのデータを元にして論文を書いていくというスタイルだ。それは富山に移ってきてからも大きく変わらなかった。初期の頃に指導した卒論のテーマを見ると、それがよくわかる。指導したほとんどの卒論がなんらかの実験をして書いていくというスタイルだった。

しかし、1998年あたりからそれが変わってきた。つまり実験心理学のスタイルから、なんらかの教育実践をしてそれを研究にしていくというスタイルに変わった。教育実践の研究というと、フィールドワーカーとして教室の中に入っていくという形がすぐに思い浮かぶ。それがおもしろい研究スタイルであるし、うまくやれば実りも多いだろうことは理解している。しかし、私はその方法を採らなかった。その代わり、自分の授業をフィールドにした。自分の授業の中でいろいろな工夫をし、それがどのような効果をもたらすのかということを調べていこうと決めたのだ。

そうした変化は何が原因だったのだろうか。ひとつは実験心理学から教育工学へと重心が移ったということだろう。そして、もし「私の専門は教育工学です」というならば、ヘタな授業はできないだろうと考えた。したがってまず自分の授業が教育工学の研究によって改善できなければならないと思ったのだ。

教育工学研究者のやる授業がヘタであってもなんら問題はないのかもしれない。それは、スピーチの研究者の話し方がへたくそであってもなんら問題はないのと同じだ。うん、問題はない。でも、私に限っていえば、スピーチの研究者はうまい話し手であってほしいと思う。そう考える自分は実学指向なのかもしれない。机上の空論はおもしろいけれども、最終的にそれを信じていないところがある。

授業研究にシフトしたもう一つの理由は、物理的に実験室が持てなくなったことだ。私に与えられた部屋は、自分用の研究室と2部屋の実験室だった。これは恵まれている方なのかもしれない。しかし、2部屋はゼミ生が増えるとすぐに、実験室ではなく、ゼミ生が占有するゼミ室になった。私が実験室として確保しようとすればできたのかもしれないが、ゼミ生にどうしても不自由な思いをさせたくなかったのだ。それは自分が大学院生時代に味わった不自由が身にしみていたからかもしれない。同じことは繰り返したくない。

部屋に関していえば、学部全体で公平に分配すればもっと融通が利くはずなのだ。しかし、情報コースは後発のゼロ免コース(教員免許なしに卒業できるコース)ということでさまざまな不利益を被った。それは、既存のコースが既得権益として部屋を握って離さないということを平然と行っているからだった。我々はそれに異議を唱えてきたが、結局何も変わらなかった。リーダーシップが存在しないとき、アナーキズムとエゴイズムが跋扈するという好例であろう。

理由はともあれ、私の研究は授業研究へとシフトした。そしてそれは現在も続いている。ちょうど、日本の大学の流れは、教育機能を見直し、重視しようということになっていた。どの大学でもFD(教員開発)をやり始めた。そのおかげで、いろいろなところで、授業改善の話をする機会ができた。