KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

「奇跡の詩人」と贋作

4月28日(日)に放映されたNHKスペシャル「奇跡の詩人」で、11歳の脳障害児が母親の手助け(facilitated communication:FC)によって詩を書いているのが紹介された。それについて、本当にその子が書いているのかどうかをめぐって2ch掲示板で大騒ぎ(いわゆる「祭り」)になっている。私はその番組を見ていなかったので、再放送があればぜひ見たいと思う。

先日(4/24)の日記で、自閉症児がパソコンを使ったFCで日記を書くようになったことを紹介した本を取り上げた。全体の状況はそれに似ている。子どもが書いた本がベストセラーになったこと、ドキュメンタリー番組が作られたこと、そしてその本について贋作ではないかという疑いがかけられたこと。そのいきさつについて本の訳者あとがきは次のように書いている。

『もう闇のなかにはいたくない』の「訳者あとがき」より

93年、ドイツを代表する週刊誌『シュピーゲル』は、ビルガーの文章を8頁にわたって引用し、「世界で初めての自閉症詩人の誕生」を讃えた。その後まもなく発売されるや本書はたちまちベストセラーとなり、一大センセーションを巻き起こす。……

……翌94年、ビルガーの生活を取材したドキュメンタリー「胸の上で増殖していく土くれのように」がドイツ第一放送で放映され、プロデューサーのフェーリクス・クバラは翌年テレビ界の重要な賞であるグリム特別文部大臣賞を受賞した。……

……ところが、その5ヶ月後、おなじ『シュピーゲル』によって、ビルガーの文章は贋作の嫌疑がかけられることになる。本が出版されてから次のような記事を載せたのである。「ただ疑問に思うのは、これを書いたのがほんとうにビルガー本人なのか、ということだ。なぜなら、母のアンネマリーがついているときにだけ、文字はきちんと意味のある文章になるからだ」

そして、どう決着をつけたかというと、最初の『シュピーゲル』誌が実地見聞するということになった。

……結局『シュピーゲル』は、レポーターふたりをゼリーン家に送って、ビルガーが実際に書いているところを実地見聞すると提案した。その結果、疑惑記事の2週間後「そもそもアンネマリー・ゼリーンにこのような詩が書けるものだろうか?(……)ビルガーは自分の意思でキーを叩いているようにしか見えなかった」と記し、自らの主張を撤回することになる。

「奇跡の詩人」の場合もこれと同じように実地見聞をする必要を感じる。

「奇跡の詩人」の方の著作は読んでいないのでよくわからないのだが、ビルガーの本では、FCを習いはじめてのころの練習(無意味なつづりや、簡単な単語の羅列など)がけっこう長く続くし、本人でないと書けないようなこと(たとえば同じ施設に来た別の子の様子やその子に対する感情など)がたくさん出てくるので、文章を読む限り、贋作の可能性はまったく感じなかった。もし、ただ本を売りたいがための贋作であれば、FCの練習段階における文章になっていないものまで載せる必要はないのであるから。

本当にその子どもが書いたものであるかどうかは、その文章を読めば、ある程度の推測はできそうな気がする。