KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

円滑な伝え合い

富山の家にいると、新聞や雑誌が読める。

所沢では、新聞をとっていない。さらに、よく買っていた週刊文春AERAといった雑誌も買うのを止めてしまった。その結果わかったことは、人間は新聞なしでも大丈夫だということだ(当たり前)。その代わり、インターネットで、読売オンラインやアサヒ・コム、ヤフー・ニュースといったニュースサイトをチェックするようになった。しかし、その時間は新聞を読むよりも明らかに短い。

とはいえ、新聞がある環境では、やはり朝の何十分かを新聞を読むことに費やすことになる。

きょうの新聞に国語研の「外来語言い換え」の記事が出ていた。国語研のコメントとして「外来語のむやみな多用は、円滑な伝え合いを妨げるおそれがある」と。この中の「円滑な伝え合い」というコトバに笑った。きっと「円滑なコミュニケーション」と言いたかったんだろう。でも、「外来語言い換え」を主張しているそばから、それはさすがにできない、と。

私もカタカナ語はつい多用してしまう方だ。「コミュニケーション」という単語は「こみ」で変換されるように登録してあるので、なおさら多用しがちになる(ちなみに第二候補はコミュニティだ)。

カタカナは偉大な発明だと思う。漢字ばかりだと、文面が黒くなってしまうけれども、カタカナをいれることでそれが薄まって、文面が軽くなる効果もある。ひらがなとの見分けがつきやすいのでキーワードとして目立つという効果もある。もちろん漢熟語でも目立つのだが、多用すると文面が黒くなってしまう。その点、カタカナは文面を軽くして、しかもキーワードを明示することができる。その意味で、カタカナ語の多用は、カタカナ語効果を薄めてしまうので、私も国語研と同じく「むやみな多用には反対」ということになる。