KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

心理療法における技法

アドラー心理学会から帰ってきた。この学会については、書きたいことがいろいろな側面からあるのだが、まず一番重要な内容的なことから。

心療内科医の中川晶さん(『心療内科医のメルヘンセラピー』(講談社)著者)の講演「心療内科における治療構造論」から幕を開ける。その中で紹介されたメタ分析「心理療法の効果を決める要因」がその後の大展開の重要な伏線である。

そのデータは、こう言っている。治療効果を決める割合は、クライエント要因40%、治療関係要因(セラピストの人柄など)30%、そして技法やモデルの要因はたったの15%、それはプラセボ15%と同等でしかない。いったい心理療法における技法というのは何なのか?

講演に続き、シンポジウムが開かれた。そこで明らかにされたのは「治療とはだましの構造である」という命題である。つまり、クライエントが乗ってくるパラダイムがあればそれでOKなのだ。乗れる(つまりうまくだまされる)のであれば、フロイトでも箱庭でもなんでもよいのだ。そして、セラピストの仕事はクライエントが乗れるパラダイムを提供することにある。

ここで、治療技法の選択が全効果のたったの15%しか説明しないことを振り返る。そう、特定の技法が提供するパラダイムに、特定の人が乗れる確率はたかだかそれくらいのものでしかない。その代わり、乗れれば、圧倒的に効く。

ナラティブ・セラピーが効果的なのは、クライエント自身にその人が乗っているパラダイム(物語の集積)を治療という形で聞き出すからだ。クライエント本人に聞くのだから、間違いようなく、セラピストはクライエントが乗れるパラダイムを推測し、提供することができる。もちろんセラピストが広いレパートリーを持っていることが必要条件だが。

大づかみなデッサンはこんな感じである。あとは、物語と説明という対立しているようなそうでないようなキーワードの周りを埋めていくことになる。