創立記念日で大学は休みだが、出る。科研費の申請書を完成させる。一息つこう。
◇
さて、アドラー心理学会のことだが、ひとつ独特な雰囲気があることを書いておこう。
それはシンポジウムで端的に観察される。ほかのどの学会のシンポジウムとも違う特徴がある。列挙していこう。
- 一人一人の意見陳述ではない
たいていのシンポジウムでは、テーマが設定されて、それについて登壇者が意見を述べる。テーマは決まっているものの、よく聞けば一人一人がばらばらに意見を言っていることはすぐにわかってしまう。しかし今回のシンポジウムではそうではない。「目標の一致」とは援助の技法のひとつだが、それとなくそれが実現している。
- インタビューでもない。
かといって、司会者がインタビューするというわけではない。司会者も含め、共同で問いをみつけ、提示し、答えを見つけていこうとするのだ。すぐれて共同作業的。だから、目標の一致がなければできない作業だ。
- 同時にそれが教育的に働く
共同的に何かを探すという体制そのものが、見ている人にとっては学習の場になる。ああ、こうして研究者たちは答えを探す努力をするのだな。それは平坦でも、一直線でもないのだな、ということを目の当たりにする。
- そして、それは大きなストーリーの中に埋め込まれ、花開く
そうした共同作業は、一人一人の射程の中で展開される。一人一人は気づいていないかもしれないが、全体としてみると大きなストーリーの相似形になっている。フラクタル的だ。
- 舞台の上に空席ひとつ
シンポジストの数+1の席が舞台には置いてある。つまり、いつでも空席がひとつある。そこはフロアから発言したい人のために提供されている。フロアからは発言すれば、シンポジスト対フロアという対立図式になる。しかし、フロアから登壇して舞台から発言すれば、同じ共通の目標に向かって何らかの貢献をしたいという姿勢になる。非常に象徴的だ。
私自身、かなりの学会でシンポジウムを見たり、自分でやったりしているが、こんな独特なシンポジウムはほかに例がない。