KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

誰かのために尽くす人生

いつ決まったのかわからないのだけれども、私の人生は誰かのために尽くす人生なのですね。ええと、これは誰かに決めてもらったんだっけ? 瞑想して悟ったんだったっけ? まあ、それはどちらでもよろしい。とにかく尽くす人生と決まっているのだ。

誰に尽くすのかって? それも決まっている。私が決めた。いや、私が決めたと言うよりも、そういう人が私の目の前に現れてくるのだね。何かの定めのように。で、私はそれを直観し、受け入れるだけでよろしい、と、そういうことになっている。

私の妻かって? いやそうではない。妻は愛する対象であって、尽くす対象ではない。というわけで、尽くす人は妻以外の人である。

しかし、尽くすということはけっこうむずかしいことである。私は一生懸命尽くしているつもりでも、相手にとっては全く違うように取られていることもあるだろう。でも、私はそれを訴えたりしない。だって、尽くすってそういうものじゃないでしょう。「私はあなたに尽くしているんです」って、その相手に向かっていえるものじゃないでしょう。言ったとたんに意味がなくなってしまうでしょう。そうじゃありませんか。