KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

2002年の回顧録

次女のプール熱は直ったようだ。まだ本調子ではないようだが。

さて、2003年ももうすぐ終わりだ。回顧録を書いておくことにしよう。今回は、2002年の回顧録だ。

2002年は私にとって転機の年になった。12年間勤めてきた富山大学教育学部を辞め、早稲田大学人間科学部に移ることになったからだ。人事は、予測のつかない状況とタイミングの産物であるから、たいていのことにはびっくりしないけれども、さすがに自分自身のこととなると大変である。

その話が出てくるまでは、2003年は内地研究制度を使って、サバティカルを取ろうと計画していたし、その計画が採択される可能性は十分にあった。その1年間を使って、アドラー心理学を勉強しようと思っていたのだ。教え方・学び方の技法とプロセスについては、教育工学やインストラクショナルデザインが扱える範囲にあるけれども、教える人と学ぶ人の関係性を考えたときには、どうしても臨床心理学を援用しないわけにはいかない。とりわけ教育を解決すべき重要な問題と捉えていたアドラー心理学を、インストラクショナルデザインの体系の中に組み込みたいと考えていた。

しかし、職場を移ることになって、サバティカルの話はなくなった。代わりに、富山から所沢への引越と新しい職場の仕事が待っていた。

当面は単身赴任をすることにした。長女はまだ幼稚園に通っており、小学校に上がるときに、家族全員が引っ越して来るという段取りにした。それまでは、私は月に2回程度のペースで富山に戻って、子どもたちに顔を忘れられないように勤めた。

新しい職場に移って、国立大学と私立大学の違いを強く感じた。不利になったことは、教員一人当たりの学生数が多いこと、授業・研究以外の校務が実質的に多いこと、担当授業のコマ数、受講者数とも多いことだ。逆に、有利に感じたことは、意志決定が速いこと、物事が合理的に決められていくこと、不足にしても教育サービスということを強く意識していること、そしてこれは個人的なことだが、給与がアップしたことだ。