KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

2002年の回顧録 その2

年もだいぶ押し詰まってきたという感じだ。子どもたちを病院に連れていくと、やはり混んでいた。年内の最後の診療日だ。

さて、2002年の回顧録の後編。

2002年の9月1日に早稲田大学人間科学部に着任した。早稲田大学側としては4月1日に異動して欲しかったところだが、そこはすんなりとは行かずに半年ばかりずれこんだ。そういえば、富山大学に就職したときも、4月1日ではなく7月1日であった。半端な時期に異動するというのが私の定めなのかもしれない。私の人事に関する限り、すんなりとはいかないというジンクスなのだろう。

ちょうどその時期に、鼻を悪くした。珍しい病気ではないそうだが、鼻茸と通称されるポリープが鼻の通り道にでき、片方の鼻が全く通らなくなってしまった。幸い良い医者を見つけることができて、一泊の手術で除去することができたのだが、そのあと半年ばかり鼻の医者に通うことになった。しかし、この手術のおかげで、長年悩まされてきた鼻づまりからすっかり解放されたのでよかったと思う。

かくごはしていたが、早稲田の忙しさはただごとではなかった。富山でもけっして暇にしていたわけではないのだが、それでも仕事を自分でコントロールし、スケジュールを自発的に組むことができていた。しかし、早稲田では、自分の時間は与えられた仕事によって完全にコントロールされ、自由に使える時間はほんの少ししかなかった。当面の間、単身赴任であったことは、家族のために使う時間を仕事のために回すことを可能にしたけれども、それは仕事に対する歯止めがなくなるということでもあった。しばしば夜遅くまで研究室に残ることが多くなった。

高血圧が自覚できるようになったのはこの頃だ。のぼせるような感覚が何度かあって、医者にいってみると確かに血圧が高い。それ以来、降圧剤を常用するようになってしまった。

何かとストレスがかかる状態になっていたのだろう。しかし、それは仕方のないことだ。だって私はそのために早稲田に来たのだから。翌年、2003年にはインターネットを利用した通信教育課程(愛称「eスクール」)を早稲田大学の中で初めて開設することになっていた。