KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

一年にたった一回の授業参観で

もう先月になってしまったが、神戸での教育工学研究会で、教育学部の三尾先生の研究が注意を引いた。彼は、いろいろな大学でのFDイベントに参加した教員を対象にアンケートを行った。FDイベントのほとんどは任意参加であるので、そもそもそこに参加してくる教員というのは、自分の授業に関する問題意識が高いはずである。

アンケートの中で、「自分の授業を改善することに影響を与えたものは」というような質問では、「FDイベント」や「FDに関する本」というのは、最も小さい影響力しかないということが明らかになった。もともとFDに対しての意識が高い教員をサンプルにとってもこうなのである。さらにいえば、「学生による授業評価」も改善のためにはあまり影響力をもっていない。もっとも影響力があるのは、自分自身の日々の授業に対する反響ということだ。よく考えればもっともな結果ではあるのだが。

上の結果を解釈すればこうなる。

FDイベントをいくら開いても無駄である。学生による授業評価は無駄ではないけれども、影響力は小さい。

では、どうすればよいか。実現可能性を考えた上で、たとえばこうする。

すべての教員に対して、一年に一コマでいいから、他の教員の授業を参観する。そして簡単なレポート(紙1枚の)の提出を義務づける。ただこうするだけで長期的に授業は大きく変わるだろう。どうしても他人の授業を見なければならないとなれば、なるべく面白そうな授業を選ぶだろう(学生と同じだ)。そうすれば、何かしら自分の授業に対する改善のヒントが得られるだろう。一方、見られる方は、いつそうした教員が来るか分からないので、以前よりは工夫をして授業するだろう。そうした相互影響がサイクルとなって、全体の授業のレベルが上がることが期待できる。

一年にたった一回の(いつ来るか分からない)授業相互参観が、授業改善の長期的なトリガーになることは間違いない。