KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

評価をやりすぎることのネガティブな効果

同じblogなのに、ココログに比べてはてなダイアリーの方がとても使いやすい。インタフェースがよく考えられているということなのだろうな。書きやすいから、どんどんはてなダイアリーの方に書いてしまう。そうすると、本家であるここの日記で何を書こうかと悩むことになる。

区別するとすれば、こちらでは一つのトピックをはてなダイアリーの方から引いてきて、それを少し突っ込んで書いてみるということになるだろう。

さて、Nk先生との会話。blogをめぐって。

blogを日々の学習ノートとして使えば、その学習プロセスを可視化させることができる。その記録をデジタルポートフォリオとしてまとめれば、評価したり、また助言したりして発展させられる。

しかし、指導者の時間コストはものすごくかかる。かといって、手短なコメントですまそうとすると、学習者の不満が募るだろう。ポートフォリオ評価も一時は流行したが、その手間があまりにもかかるために、長続きしないのではないだろうか。

評価をやりすぎることのネガティブな効果もあることを忘れてはいけない。評価を頼るようになったり、評価なしを不安に感じるようになったりすれば、それは自律的な学習を損なうことになる。最大限自分がコントロールできる範囲を自ら狭めてしまう危険性がある。評価されなければ、自分で改善することもしないという習慣ができあがってしまう。評価は他人がやるもので、自分がする必要はないということを学んでしまうかも知れない。

その意味で、IDが達成基準を数少なく決めて、白黒をはっきりつけると主張しているのは、現実的だ。その達成基準を満たすために、そこまでのプロセスでやるべきことが制約されている。そのプロセスでは、評価よりもむしろ自由な拡張や発展のほうが重要なのだと思う。