KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

マルカム・ノールズ『成人教育の現代的実践』

成人教育の現代的実践―ベダゴジーからアンドラゴジーへ

成人教育の現代的実践―ベダゴジーからアンドラゴジーへ

教師が何をするのかよりも、むしろ学習者の内面で何が起こっているのかへの注目。こうした考え方の流れのなかから、「自己決定学習(self-directed learning)を支援するプロセスとしての教育」「教師の役割を、自己決定学習の援助者や自己決定学習への情報源として再定義すること」という新しい教育観が芽生えてきたのである。

ホワイトヘッドは次の点を強調した。「われわれは、人類の歴史のなかで、この考え方が通用しない最初の時代に生きている……今日では、このタイムスパンが人間の生涯よりもかなり短くなってきている。それゆえ、われわれの訓練は、人間を状況の新規さに直面できるように仕向けるものでなければならない」。

当初私は、アンドラゴジーを「成人の学習を援助する技術と科学」(the art and science of helping adults learn)と定義し、ペダゴジーを「子どもを教える技術と科学」と定義した。その後小中学校(そしてわずかではあるが大学でも)の教師の多くが、私に次のような報告をしてくれた。すなわち、アンドラゴジーの概念を青少年への教育にあてはめる試みをおこなったところ、ある状況においては、それがすぐれた学習を生み出すことがわかったということである。

成人はそれまでの学校生活によって、(ペダゴジー・モデルのもとで)伝達された内容を依存的かつ多少受動的に受け入れる学習者にふさわしい役割を自覚するように深く条件づけられてきた。その結果、仮にかれらが他のさまざまな生活の側面において完全に自己決定的であったとしても、「教育」という名称のついたさまざまな活動の中に入った瞬間から、かれらは椅子に深く座り、腕組みをして、「教えてくれ」というであろう。

伝統的な教育では、学習活動を構造化するのは教師と教育機関である。……こうした強制的な構造は、成人がもつ、自己決定的でありたいという深い心理的なニーズと葛藤をきたすものであり、おそらく抵抗、無気力、引きこもりを誘発してしまうだろう。学習契約は、学習者とその援助者、指導者、教師、そしてしばしば仲間との間で、相互に学習経験の計画を進める手段を提供する。学習者はニースの診断、目標の設定、学習資源の明確化、方策の選択、そして達成物の評価に参加することによって、計画の所有(および計画への参画)の感覚を発達させていくのである。

(解説)こうして見てくると、ノールズは自己決定学習に対する支援方法として、ニーズの自己診断と学習成果の自己評価とを対応させているようである。学習者が自らの学習に責任をもつこと、そして学習支援者をそこでの情報源として活用すること。こうしたところにノールズのアンドラゴジー論の独自性があり、またそこにおいてこそ、成人教育者の手腕が試されるのであろう。

成人教育の研究はこの一冊から始めるのがいいかもしれない。大部な本だが、語り口は明瞭。本人が実践者なので具体的でもある。キーポイントは、自己決定学習(self-directed learning)と学習契約(learning contract)。前者は本全体を貫くメインテーマ。後者は、具体例が付録に収録されている。インストラクショナルデザインの考え方やインストラクショナルデザインプロセスは、まったく違和感なくこの本の中に取り入れられている。成人教育の展開とインストラクショナルデザインは同期していたのかな。