KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

バリー・シュワルツ『なぜ選ぶたびに後悔するのか』

なぜ選ぶたびに後悔するのか―「選択の自由」の落とし穴

なぜ選ぶたびに後悔するのか―「選択の自由」の落とし穴

学生は、まるで興味をもっていなくても、いい成績を取るために勉強する。勤め人は、いまの仕事に満足していても、昇進を求める。混み合ったフットボールの競技場で、決定的なプレーをみようとする観客とおなじだ。もっとよくみようとして前列の観客が立ち上がり、連鎖反応が起こる。あっという間にだれもが立ち上がり、目の前の眺めは、さっきと変わらない。全員がわざわざ立ち上がり、だれの眺めもよくなっていない。あえて自重して立たないひとがいたとしても、その人はゲームがまったくみえなくなる。地位を高くする品物を追い求めようとすると、否応なく、このゴールのない競争に巻き込まれる。レースに参加しないという選択は、負けを意味する。

社会は選択肢を増やすことで、生活の質や幸福感を向上させようとしてきたが、選択肢が増えすぎることで、かえって満足を感じない人が増えている。この本は、そのメカニズムを、カーネマンとトバスキーのプロスペクト理論や社会心理学のさまざまな実験結果を援用することで解き明かしている。

オプションが増加し続けると、何が起こっても自分のせいだということになり、主観的な体験が損なわれるという。それをさけるためには、ある程度の制約を取り入れたり、最高ではなくまずまず(最大化人間よりも満足人間)を求めること、決定の結果についての期待を低くしたり、変更を不可能にすることといった方略がある。

自主性と自己管理に重きを置いた個人主義をとることで、失敗したときの原因は自分のせいだという帰結を導きやすくなり、失敗することでうつになる確率が高まるという。それをさけるためには、社会的なグループや組織のメンバーになることだという。選択の制約を設け、「私の池」を設定することで、すべては自分のせいだという考えを弱めることができる。

この本で紹介されていることは、選択肢と決断、そして満足と幸福がかかわるあらゆる場面に応用できる。