KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

ノート一冊主義

結局のところ、何のためにノートを取るのだろうか。

ひとつは、聞いたことや話し合ったことのメモだ。ふたつ目は、作業の途中のプロセスをメモに残しておき、それを次のステップの土台とする場合。

いずれにしても、ノートはそれが読まれた回数に比例して意味がある。ノートを取ったとしても、一度も読み返されないとしたら、それは意味がない。意味があるとしても、たかだか、話を聞いているときにメモを取ることで、何もしないよりも集中して話を聞くことができる程度のことだ。ノートは読み返され、それに何らかのアイデアを付け加えて、新しい表現物にすることによって活かされる。

ノートを取るとすぐに分類しようと考える。わたしもノートを切り取ってファイルフォルダに分類していた。しかし、それでは読み返すことにならない。分類することで安心してしまうからだ。分類されたノートも、安住の地をフォルダに見つけて、そこで永い眠りにつくことになる。

読み返しを促進するためには、ノート一冊主義を取ると有効だ。ノート一冊主義では、分類されない情報が、時系列でページ上に並ぶ。特定のトピックについて考えたことが、別の日付で違うところに書かれる。それを検索するためにページを繰る。そうすると、直接関係のない情報も目にはいる。しかし、その情報が読まれて、後に活かされる確率が出てくる。ノートを一冊にしたことで、そこに書かれた情報が何度も読まれることになる。