KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

知られないようにテストをする

テストによって学習が最適化される。だから生半可なテストはできない。しかし、授業の結果、学習者がどのように変化したかを測定する必要はある。しかし、それをテストの形でやってしまうと、最適化を逃れない。だから、テストとして知られないようにしなくてはならない。それをどうするのか。

  • テストでない文章を書いてもらって、変化を見る。
  • 何かしゃべってもらって、変化を見る。

そういう意味では、「授業をすべて終了してみて、この授業でどんなことを得たかを自由に書いてください。これはテストではありません。」というようなのがいいのではないかな。

教授者の意図と学習者の成果

教授者の意図が目標を明確化し、それによって成果を測るテストが作られる。では、教授者の意図していなかったことで学習者が学んだことについてはどうか。これは測られなければわからないし、そのまま闇に葬られるであろう。しかし、実際には意図とは違うことを学習者は多く学んでいるはずだ。これを測るためには、「あなたはこの授業から何を学びましたか」ということを聞かなくてはならない。

しかし、そうしたところで、正確に自分が学んだものを報告してくれるというのはナイーブすぎるだろう。そこをどうするか。