KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

物語はその世界観と合体して、その人の存在に「意味」を与えます

みなさん、こんにちは。

函館一人歩きのときに体力を消耗したらしく、鼻風邪気味です。昨日のワセオケのコンサートでは、咳が出ないようにがんばりました。ブルックナー交響曲7番は、すばらしかったですよ。そして、最後のアンコールは、フルオーケストラによる「都の西北」。いつも感動します。これを聴くと、今年度も終わりだな、という感じになります。実際は、まだ卒業式がありますけれども。

さて、ゲームとeラーニングについて、まだ考えています。

図に示したように、単元に沿った学習とゲームでは、それほど違いはありません。文脈があって、知識が与えられ、あるいは獲得して、挑戦や試練を受ける(つまりテストされる)、そしてその結果がフィードバックされて、それは次に自分がとるべき行動を規定する、というようなしくみです。

しかし、この両者の決定的な違いは、ゲームの世界では、知識・テスト・フィードバックが「一体化」されているという点です。この三つ組みがほぼ同時並行におこなわれていて、それを「イベント」と呼ぶのです。つまり、知識が与えられと同時にそれを使わなければならない試練を受け、その結果はすぐに自分の存在に影響するというわけです。この同時性がゲームのおもしろさなのだろうと思います。

そして、そうしたイベント群は、文脈という大きな世界観に埋め込まれています。イベントの連続が「物語」になります。物語はその世界観と合体して、その人の存在に「意味」を与えます。その世界観はフィクションですので、どうにでも作ることができるわけですけれども、そこに参加者がリアリティを感じなければ、自分の「存在意味」が知覚できないために、そのゲームから離脱するという行動をとります。それは自然な結果です。

つまり、ゲームがeラーニングに示唆するものとしては、ひとつは、知識・テスト・フィードバックの三つ組みイベントの一体化というアイデア、もうひとつは、その「科目」が構成する「世界観」について、学習者がどのようにリアリティを感じてもらうかという仕掛け、ということになります。

では、またあした。